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野球太郎ストーリーズ》巨人2016年ドラフト1位、吉川尚輝。「菊池涼介2世」の呼び声高い天才型遊撃手(2)

取材・文=尾関雄一朗

《野球太郎ストーリーズ》巨人2016年ドラフト1位、吉川尚輝。「菊池涼介2世」の呼び声高い天才型遊撃手(2)

前回、「岐阜県が生んだ“ 菊池2世」

 来季の王座奪還を期す巨人が坂本勇人との二遊間も視野に大学ナンバーワン遊撃手を獲得。生来の感性に優れ、異次元レベルの華麗な守備と俊足で魅せる男は、亜細亜大入部辞退の挫折を経て、地元で才能を伸ばした。(取材・文=尾関雄一朗)

プロでは二塁手で勝負?


 今年、大学日本代表に選ばれ、主に二塁手としてプレーした。本人は「セカンドは難しいなって思いました。カバーリングとか、動きがショートと真逆。ショートが楽に感じました」と言いながらも、「内野ならどこでもやりたい。セカンドも守れるのはチャンスだと思ったし、楽しくできました」と刺激になった様子だ。

 実は、この“二塁手”こそが、プロで吉川にフィットするのではないかと考えられている。

 吉川のプレーは現状、よくも悪くも“我流”とされる。守備は高校3年にかけて当時のコーチに鍛えられ、一定の基本は身についたが、“プロ野球の遊撃手”としてはまだ粗い。今春リーグ戦では1試合で悪送球を2つ犯した試合もあった。華麗なランニングスローで魅了する一方、「スローイングでしっかりとトップがつくれていない」(某セ・リーグ球団スカウト)など、長所と表裏一体の危なっかしさを指摘する声もあった。

 実際、大学3年秋には送球イップスに陥りかけた。

「プロのスカウトの方がリーグ戦を見にこられたりする中で、ショートだから肩をアピールしないといけないなと思い、強い球を投げようと意識するあまり、全部狂ってしまって。送球がバラバラ。普段は8割ぐらいの力で投げていたのを10割で投げていたら、近い距離(の送球)がフワッて(変な感覚になった)。イップスみたいになってヤバいなって思ったんですけど…」

 イップスはさまざまな要因が重なり合う難しい問題だから、明確な原因を特定するのは難しい。ただ、心理面のみならず技術的な要因も密接に絡むとされる。我流のプレースタイルが少なからず影響したのだろうか。

 今後、プロの環境下で高いレベルの技術を吸収し、超一流の内野手になっていくにあたり、まずは二塁手でスタートするのがよさそうだ。二塁手は遊撃手に比べ、送球の距離が短い。また巨人は現在、遊撃手のレギュラーは坂本勇人が盤石だ。一方で二塁手は固定しきれず、各選手が決め手を欠いている状況である。黄金ルーキーの二塁手起用というプランは想像がつくし、巨人の山下哲治スカウト部長も指名挨拶などでその旨のコメントをしている。

 ちなみに、吉川がイップス傾向を克服したのは、大学4年春の全国大会だという。

「神宮(大学選手権)のときに力が抜けて、送球が安定していい感じになりました」

 大学選手権5試合で毎試合安打を放つなど大舞台での強さを見せたが、イップスさえそこで解消してしまうのだから、注目されるプロのステージは吉川に合っているはずだ。

厳しい環境に逃げ出した過去


 中学時代は全校生徒80人程度の田舎で育った。中京に進学した理由は「自分の父親が昔、中京で野球をやりたかったけど、寮生活だとお金もかかるので、通学圏内の市岐阜商にしたみたいです。父親が着たかったユニフォームで甲子園に出たいと思いました」と話す。

 ただ、ここまでの野球人生には浮き沈みもあった。高校2年春は腰をケガし、大会でベンチ入りを逃した。

「腰が痛くて立てなくなった。夏にはプレーできるまでになりましたが、無理をしながらだったので、本当の完治には高校3年の夏までかかりました」

 最後の夏は岐阜大会ベスト4で終えた。プロ球団スカウトからの注目度は高かったが、甲子園とは無縁だった。

 大学進学に際しては、「野球をやめようと思った」ほどの挫折を味わった。進学先には、松田宣浩(ソフトバンク)など素質のある中京OBが代々進んでいた亜細亜大へとレールが敷かれた。しかし入学前の春季キャンプで部の厳しさについていけず、早々に尻尾を巻いて岐阜に戻った。

「進路はどうなるのかなと思っていたら、監督さんに大学野球だって言われて。どこの大学ですかって聞いたら、『お前の一番いやな大学だ』と…。最初はどこの大学のことを言われているのかわからなかったんですけど(笑)。亜細亜大はしんどいイメージがあったし、周りもそう言う。でもセレクションに行ったら合格してしまって…。気持ちを入れて現場(チーム)に行ったらそれなりにやってこられると思うんですけど、最初から『いやだな』と、気持ちが乗らないままでした」

 ミスマッチだから“誰のせい”ということはない。吉川のような選手がいたら、つながりの深い超名門・亜細亜大に送り出したくなる指導者側の気持ちも当然である。吉川自身もまだ野球への意志が中途半端だったのかもしれない。ただ、傷心の18歳は「いろんな人に期待されて、お金も出してもらったのに、裏切ってしまった」と野球を諦めかけた。

 それでも「監督さんが亜細亜大に謝りに行ってくれたり、両親も『もう一回野球をやってほしい』と言ってくれた」と、年度がかわるギリギリで中京学院大の入試を受け、再びグラウンドに立った。そこからは年々成長。大学2年時に選ばれた大学日本代表候補合宿では、?山俊(阪神)の体格などに衝撃を受け、自身も精力的にジムに通うようになった。大学4年春に念願の全国大会出場を決めると、チームもそのまま勢いに乗り、本人たちですら予想しなかった全国制覇まで果たしてしまった。

 家族の影響で、吉川はもともと巨人ファンだという。憧れのユニフォームを身にまとい、プロでの挑戦が始まる。
(※本稿は2016年11月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・尾関雄一朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)
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