前回、「高校時代の控えからドラフト1位へ」
今年のドラフト会議は、各球団が事前に1位指名を明言せず腹の内を探り合う「隠密ドラフト」だった。そのエアポケットにはまるように、オリックスは「競合必至」と目された即戦力右腕の単独指名に成功。高校時代は3番手格。社会人で花開き、2年連続都市対抗準優勝の原動力になった右腕の軌跡と魅力に迫る。
JR東日本に進んでからすぐに、投手人生を左右するターニングポイントがあった。
山本浩司コーチの指示で、腕の角度を再び上げることになったのだ。スリークオーターできっかけをつかんだにもかかわらず、またかつてのオーバーに戻す。このあたりの心境は、いかなるものだったのだろうか。話を聞くと、意外にも素直に変更を受け入れたことを明かしてくれた。
「スリークオーターでは自分の限界を感じていたので、何か変えないといけないと思っていたんです。ダメなところはある程度わかっていたけど、修正の仕方が見つからなくて。具体的にいえば、左バッターに打たれていたこと。長打も多かったので、どうにかしたいという気持ちがありました」
左打者のインコースを狙ったストレートが、どうしてもシュート回転で甘く入ってしまう。左打者に対する攻め幅を広げられずに、苦労していた。
JR東日本の首脳陣からすれば、「角度を生かす」という思いもあっただろう。もしかしたら、「オーバーに変えればさらに伸びる」という確信があった中での獲得だったのかもしれない。フォームを変えることに関しては、大学4年夏にJR東日本に内定した時点で、吉田には伝えていたという。
再び、オーバースローで投げ始めてみて、「大学の下級生の時と比べると、指にかかる感じがまったく違いました」と、手ごたえをつかんだ。
ただ、テークバックが大きく、背中の後ろに入るフォームだったため、山本コーチと二人三脚で修正。そして、ヒジから先をムチのようにしならせるイメージで、内野手のスナップスローの練習を繰り返した。ショートが打球を捕り、ベースカバーに入ったセカンドにサイドスローで放る動きだ。この動きをネットに向かって、連続で素早く行う。
「腕が一番走っているところで、ボールを離す。この感覚がつかめました。ムチのように走らせて、パチッと投げる。ヒジが落ちてしまうと、この動きができないんです」
実は、西武入りした先輩の十亀も熱心に取り組んでいたメニューである。JR東日本に進んだ投手は社会人で成長を遂げることが多いが、このメニューの力もあるのかもしれない。
足を上げてからの体重移動にも、気を配った。体幹をぶらさずに、真っすぐキャッチャー方向に出ていく。そして、体重移動が始まる時には、軸足のヒザを早く折らないようにする。シャドウピッチングやネットスローで、体に染み込ませていった。
フォーム改良の成果が出たのが、昨夏の都市対抗だった。5試合26イニングに登板した吉田は、自責点わずかに2。3回戦の東芝戦では、9回途中まで3安打無失点と素晴らしい内容を見せた。
吉田の生命線となるのが両コーナーと低めへのコントロールだ。コースと高さを間違えないため、痛打されることが少ない。
「意識しているのは低めに投げること。自分の場合は角度があるので、低めに投げれば、長打のリスクが減る。特に狭い東京ドームの場合は、低めに投げることを強く意識しています」
調子を崩してきたり、フォームのバランスがおかしいなと思った時は、ブルペンで真ん中低めに投げる練習を繰り返すという。キャッチャーには地面すれすれに構えてもらい、そこに伸びるストレートを投げる。
吉田曰く、真ん中低めであることに意味があるという。左右どちらかに寄ってしまうと、体もぶれる恐れがあり、フォーム修正につながらないからだ。
スピードは最速148キロと言われているが、アベレージで見れば140キロ台前後。スピードに関しては、今夏の都市対抗の準決勝、日本製紙石巻戦で気になることがあった。初回から130キロ台中盤〜後半のストレートが多く、140キロ台は数えるほどしかなかったのだ。結果的に2安打完封勝利を飾ったため、調子が悪かったわけではない。あえて、コントロール重視でいったのか、スピードを抑えたのか。
「チームがネット裏で計っていたのを見ると、145キロが出ていたようです。あの日、東京ドームはスピードが出ていなくて、それが1試合目でわかりました。たぶん、終速が表示されていたんだと思います。だから、まったく気にはしなかった。バッターの反応を見ても、差し込まれていたんで」
経験が浅い投手になれば、目に映るスコアボードのスピード表示を見て、「あれ?」と首をひねるかもしれない。投げている感覚と数字にズレがあるだけで、調子を落としていく投手もいる。このあたり、吉田は冷静に対応していた。
次回、「バリエーションが増えた変化球」
(※本稿は2013年11月発売『野球太郎No.007 2013ドラフト総決算&2014大展望号』に掲載された「30選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)