若手選手を積極起用する。
「超変革」を掲げた金本監督が開幕からぶれないのは、たくさんの若手選手にチャンスを与えている点だ。
もちろんすべての選手が結果を残しているとはいえないが、オールスターゲームに選出された高山俊や原口文仁などは、将来の主力として期待できるところまできている。
金本監督と掛布雅之2軍監督とのコミュニケーションもスムーズ。掛布2軍監督の推薦で1軍に上がった選手は、すぐに起用する体制ができ上がっている。
その典型が、育成枠から一夜のうちに這い上がった原口であろう。
「俺も原口のように」
チャンスをもらえれば、後は結果を残すだけ。選手のモチベーションは自ずと上がっていく。
野村監督も就任当初は若手を育成、積極起用する方針でスタートした。
チーム内にホームランが打てる選手が少なかったこともあり、得点力を上げるためには機動力が必要と、足の速い7名の選手を積極起用。彼らは「F1セブン」と呼ばれた。
しかし、後に5度の盗塁王に輝いた赤星憲広は別格として、機動力で相手チームをかく乱する攻撃はほとんど見られなかった。
むしろ、野村采配についていけなかった今岡誠、藪恵一らは士気を落とし、野村監督から干される事態になってしまった。
プレースタイルが気に入らないなどと野村監督から酷評され続けた今岡は、「ファームで外野を練習しろ!」と通告される。
ただ、岡田彰布2軍監督は「腐るな、チャンスは必ずくるから」と、外野守備をさせなかったという。
足の遅い今岡に外野を守れということは、すなわち「クビ」を宣告するのも同じ。一歩間違えば、今岡が2003年に首位打者、2005年に打点王に輝くことはなかった。
野村監督時代には花が咲かなかった阪神だったが、星野仙一監督の就任2年目に18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げる。
野村監督時代にデビューした赤星や藤本敦士が主力になった2003年のことである。
若手選手を成長し花が咲くまで、大なり小なり時間を要するのは確かだ。
選手がモチベーションを失い、戦える集団を作れなかった野村監督。
現在のところ、日々もがき苦しむ金本監督ではあるが、選手個々のモチベーションが低下しているとは思えない。
これは、161球を投じた藤浪晋太郎しかり、大スランプを抜け出せない鳥谷敬しかりだ。
似通った両監督の1年目ではあるが、両者には大きな違いがあるように思えてならない。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。