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第12回■北の球聖 久慈次郎 (著者 中里憲保)



 昨年末、松井秀喜引退のニュースが飛び込んできましたが、どんな野球選手でもいつかは現役を引退します。また昨年末のテレビ放送で反響が大きかったイチロー選手のドキュメント番組では、本人が「野球選手としての『死』が着実に近づいてきている」とつぶやいていましたが、野球選手にとっての『死』とは現役を引退すること。「グラウンドが俺の死に場所だ」「グラウンドで死ねたら本望」といった名言も聞きますが、今回紹介する久慈次郎選手はまさにそれを体現した野球選手であり、本のタイトルにある「球聖」と呼ぶに相応しい偉大な野球選手なのです。

 読者の皆様もご存じの都市対抗野球。敢闘賞として贈られる「久慈賞」は、いちアマチュア選手として野球人生を終えた久慈の敢闘精神を称え、戦後まもない1947(昭和22)年に大会再開を記念して設けられた賞です。
 ここで簡単に本人の経歴を振り返りましょう。明治31年に青森市で生まれた久慈は少年時代は岩手県盛岡市で過ごします。盛岡中学に入学した頃には既に180p近い身長だったそうで、大型捕手として活躍し、特に捕球の正確さ、肩の強さはピカイチだったとのこと。その後は早稲田大学に進学して野球を続けますが、当時のレギュラーは名捕手として野球ファンを惹きつけていた主将の市岡忠男。レギュラー奪取は果てしなく遠いものに思えましたが、なんと入部から約一年後の試合中に市岡が負傷で退場、久慈が試合途中でマスクをかぶることになり大活躍。翌年には市岡を一塁手に追いやり、レギュラー捕手の座を掴みます。

 今は当たり前になっている捕手の一塁ベースカバーを日本で初めて取り組んだが早大時代の久慈で、投手や野手の暴投をバックアップするといった捕手の積極的なプレーは珍しかったようです。当時の野球雑誌では久慈のことを「味方に与える敢闘精神の鼓舞という大きな役目を果たした」と評しています。早大卒業後は北海道の企業チーム「函館オーシャン」に入団。都市対抗野球第2回大会から第10回大会までに7回出場。都市対抗の名物チームとなり、北海道では無敵を誇っていましたが、全国大会では来る年も来る年も初戦敗退の苦渋をなめていたといいます。

 しかしながら、ある年の大会で一躍、都市対抗野球の人気者として認められる出来事が起こります。第四回大会の試合で初回に函館が3点を先取。幸先良いスタートを切るもその裏、味方投手が四球を連発。5点を失い逆転され、さらにはその投手もアップアップな状態。「このままでは試合が壊れてしまう…」と誰もが思ったその時、球を受けていた久慈がマウンドに駆け寄りマスクとプロテクターを外して球審に一言。「ピッチャー交替、ピッチャー久慈」と告げると球場は大盛り上がり。さらには壊れかけた試合を投手戦に持ち込み、結果は4対6と惜しくも敗れますが、観客を大いに沸かせたといいます。

 久慈の野球人生は順風満帆にみえましたが、冒頭でふれた野球選手としての『死』についても記さなければいけません。1939(昭和14)年8月19日、札幌円山球場で悲劇が起こります。既に40歳を迎えていた久慈は、選手として出場する機会よりも監督として指揮を執るケースが増えてきていた時期でしたが、その日は味方のふがいない試合運びにいたたまれなくなり途中出場。七回、無死二塁のチャンスで打席を迎えると、相手投手は大ベテランの雰囲気に押されたのか制球が定まらず四球を与えます。一塁に向かう久慈がふと立ち止まり、ホームベース上で次打者に指示を与えようと首を傾げた瞬間、捕手が二塁ランナーに牽制球を投げ、その投球が久慈のコメカミ付近を直撃。当時の証言者が「腰を折るようにして久慈は倒れ込んだ…」とコメントしているように、当たり所が悪かったのでしょう、病院に搬送されるも残念ながら息を引き取り、帰らぬ人となってしまったのです。

   少し時代は遡りますが、1934(昭和9)年の日米野球大会。ベーブ•ルース、ルー•ゲーリックらを擁した超強力打線が自慢の米国チームと当時の日本代表チームが激突します。日本チームは苅田久徳、三原脩、水原茂、中島治康、ヴィクトル•スタルヒン…といった、その後に伝説のプロ野球選手として名を馳せる猛者たちが集結。そして当時36歳のベテラン捕手としてチームを牽引したのが久慈だったのです。今でいうと高校二年生の年齢だったあの沢村栄治をリードし、錚々たる野手陣を扇の要としてまとめ、世界最強の超強力打線に立ち向かっていった久慈次郎は、もっともっと語り継がれても良いはずの名選手であり、日本代表として相応しい選手だったと思います。「北の球聖」にあらためて合掌します。




■プロフィール
小野祥之(おの・よしゆき)/プロ・アマ問わず野球界にて知る人ぞ知る、野球本の品揃え日本一の古本屋「ビブリオ」の店主。東京・神保町でお店を切り盛りしつつ、仕事で日本各地を飛び回る傍ら、趣味はボーリング。と、まだまだ謎は多い。

文=鈴木雷人(すずき・らいと)/会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。自他共に認める「太鼓持ちライター」であり、千葉ロッテファンでもある。

■お店紹介
『BIBLIO』(ビブリオ)
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1丁目25
03-3295-6088

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