9月17日、岩手・大船渡高のエース・佐々木朗希が、秋季岩手県大会の1回戦で163キロを叩き出した。スタンドにはどよめきが起こったというが、実は、この球速は球場の機械の誤作動と判明。公式記録としては157キロが最速だったようだ。
佐々木は、すでに高校野球ファンやドラフトマニアの間では知られた存在で、この日は球場に多くの観客が詰めかけ、なかには複数の日米プロ野球のスカウトもいたという。佐々木の注目度の高さは球速だけによるものではないが、超高校級のスピードボールが興味のベースにあるのも事実。このように、球速というのは無条件で見る者の心を惹き付けるのだ。
プロの世界でも、その速さを武器にファンを魅了した投手たちが存在した。ここでは、球速160キロ以上を記録した剛速球投手をピックアップしてみたい。
過去に日本のプロ野球で160キロ以上を記録したのは以下の8人しかいない。
■プロ野球最速記録(160キロ以上)
165キロ
大谷翔平(日本ハム)/2016年10月16日
162キロ
クルーン(巨人)/2008年6月1日
161キロ
由規(ヤクルト)/2010年8月26日
スアレス(ソフトバンク)/2016年10月14日
ドリス(阪神)/2017年8月29日
160キロ
林昌勇(ヤクルト)/2009年5月15日
マシソン(巨人)/2012年7月5日
藤浪晋太郎(阪神)/2016年9月14日
(※球団名は記録計測時の所属チーム)
最も速いボールを投げたのは、ご存知、大谷翔平(当時日本ハム、現エンゼルス)だ。この歴史的球速は2016年のCSセカンドステージのソフトバンク戦で生まれた。
大谷は日本ハムが3点リードで迎えた9回裏に登板。1イニングだけという“飛ばせる”事情もあって、このときに165キロのストレートを3球も投じている。ちなみに、プロで初めて160キロを投げたのは2014年6月。それ以降、過去の自分を超えながら165キロまで到達した大谷。これに加えて、打者でも実績を残しているのだから、空前絶後の選手と言っていい。
近年では、マシソン、スアレス、ドリスと160キロ以上をマークする助っ人も目につくが、その先駆者となったのがクルーンだ。横浜で3年(2005〜2007年)、巨人で3年(2008〜2010年)の6年間、日本球界でプレー。おもにクローザーとして304試合に登板し、177セーブを記録した。
タイトルは2008年のセーブ王(41セーブ)だけだが、全盛期のストレートは、これまでの速球投手とは明らかに異なる迫力が感じられた。2005年5月に、当時の日本最速となる159キロをマークすると、7月には161キロを叩き出し、自身の記録を更新。さらに2008年6月には162キロにまで塗り替えた。
上記の8人のなかで、唯一のサイドスローが林昌勇(イム・チャンヨン)だ。2009年のWBCの決勝戦で、試合を決めるセンター前タイムリーをイチローに打たれた印象が強い投手ではあるが、ヤクルトに在籍した5年間(2008〜2012年)で、リリーバーとして238試合に登板して128セーブ。トータルの防御率は2.09と非常に優秀な成績を残している。
大きく振りかぶるワインドアップモーションから、右腕をしならせて投げ込む最速160キロのストレートは、オーバースローの投手とは軌道が異なるため、苦労する打者が続出。林昌勇がヤクルトにいた5年間の成績を見ると、Aクラス3回で、最下位は一度もなし。貢献度は高かった。
最後に阪神ファンならずとも、気になる藤浪晋太郎を取り上げたい。自身最速となる160キロをマークしたのは、プロ入り4年目の2016年9月。ただ、この数字に驚いたファンはそう多くなかったはず。藤浪のポテンシャルなら、それぐらいは出しても当たり前という空気はあった。
大阪桐蔭高時代、負ければ終わりの甲子園で春夏連覇を達成している投手が、メンタルに難があるとは考えにくい。プロ入りした2013年から3年連続で2ケタ勝利を記録した逸材が、2016年以降はまるで迷宮をさまよっているかのような状況だが、なんとかきっかけを見出し、また活躍してくれることを願いたい。
文=藤山剣(ふじやま・けん)