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野村監督時代からの伝統!? ヤクルト「再生工場」の系譜

 今年のヤクルトでは、一人のアンダースローの活躍が際立っている。そのピッチャーの名は山中浩史。昨シーズン途中、新垣渚とともに川島慶三、日高亮との交換トレードでソフトバンクからヤクルトへ移籍してきた。

 昨年までのプロ3年間で勝ち星はなかったが、今年6月12日の西武戦でプロ初勝利を挙げると、そこから勝ち星を重ね無傷の6連勝(8月20日現在)。後半戦に入ってからは先発ローテーションの一角を担っている。

 歴史を紐解くと、野村克也監督時代の「野村再生工場」の影響もあって前球団で活躍できなかった選手や自由契約となった選手が活躍するケースが多い。その系譜を改めて振り返ってみよう。


未だ語り継がれる「野村再生工場」


 野村監督時代の1990年代、「野村再生工場」で名前が挙がるのは田畑一也だ。1992年のドラフト会議で、ダイエー(現ソフトバンク)のドラフト10位で入団した田畑は、95年オフに交換トレードでヤクルトへ。ダイエー時代は2勝しか挙げられなかった田畑だったが、移籍初年度の96年には12勝と一気にブレークする。さらに翌97年には15勝5敗と好成績を残し、チームの日本一に大きく貢献した。

 日本一となった1997年は、かつて広島で4番を打っていた男の活躍が快進撃のきっかけとなった。96年オフに広島を自由契約された小早川毅彦は、巨人との開幕戦で5番打者に抜擢される。その背景には「大学1年、プロ1年目と門出の年に必ず活躍している」という野村監督の読みだった。そして小早川は2回の初打席、巨人のエース・斎藤雅樹から先制ホームランを放つと、1対2で迎えた4回に同点弾。さらに6回にも勝ち越しの2ランと1試合3本塁打と大活躍。試合は6対3でヤクルトが勝利し、開幕戦に強い斎藤を粉砕した。小早川はこの年12本塁打を放ち、復活を果たした。

 他にもチームの若返りもあって西武を戦力外され、1996年に移籍した辻発彦は、二塁のレギュラーとしてリーグ2位の打率.333をマーク。古巣・西武を見返す結果を残した。

若松監督時代も「再生」は続く


 若松勉監督の下、日本一となった2001年には、2人のピッチャーの「再生」があった。近鉄、広島、巨人と渡り歩いた入来智は、巨人を戦力外され01年に入団。それまでは近鉄時代の1993年に挙げた5勝が最高だったが、持ち前の強気な投球で自己最多の10勝をマーク。オールスターにも初出場し、弟・祐作(当時巨人)との継投は話題となった。

 もう一人の前田浩継は九州共立大から1998年ドラフト2位でオリックスに入団。しかし2年で戦力外を受け、2000年にはテスト入団で、ヤクルトへ移籍する。この年にプロ初勝利を含む2勝を挙げると、01年は先発ローテーションに入り7勝をマークした。

 また、2003年の鈴木健の活躍も見逃せない。西武の4番打者として1997、98年のリーグ連覇に大きく貢献した鈴木だったが、成績不振もあって2002年オフに金銭トレードでヤクルトへ移籍。開幕戦で岩村明憲が故障のため戦線離脱したことで、サードの定位置に入る。

 以降、主に5番打者として活躍。岩村の復帰後はファーストに移り、シーズン終了までレギュラーとして試合に出続けた。その結果、リーグ5位の打率.317、20本塁打、95打点の成績でベストナインとカムバック賞を獲得。36二塁打はリーグトップの数字だった。

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