今年のストーブリーグも盛り上がりを見せた契約更改。歴代プロ野球界の契約更改にまつわるアレコレを紹介したい。
(※年俸はいずれも推定)
契約更改の見どころといえば、ブレイクした選手のアップ率。昨オフは石川柊太(ソフトバンク)が500万円→3000万円の500%アップ、桑原謙太朗(阪神)が800万円→4500万円の463%アップが話題になった。
歴代プロ野球で有名なのは、イチロー(マリナーズ会長付特別補佐)の900%アップだ。オリックス時代、高卒3年目の1994年に当時の日本記録であるシーズン210安打を記録し、打率.385をマーク。イチローフィーバーを巻き起こし、オフの契約更改で「800万円→8000万円」の大幅アップを勝ち取った。
イチローの900%が長きに渡り、歴代最高のアップ率だったのだが、2009年オフにそれを超えたのは福盛和男(楽天)。当時33歳。「アレッ?」と思う人も多いかもしれない。
実は福盛は、2007年オフに球団の慰留を振り切って、海外FAでメジャー挑戦。レンジャーズに入団したが、わずか4登板に終わり、翌2009年もマイナー暮らし。同年6月にレンジャーズとの契約を解除し、拾われる形で楽天に復帰していた。
復帰に際しては、メジャー移籍時に野村克也監督(当時)と福盛の間で意見の相違があり、不穏な空気もあった。しかし、福盛が野村監督に直談判して解決。野村監督も「俺も情に弱いなぁ」とボヤきながら、後半戦は守護神に抜擢し、35試合で7勝1敗10セーブ、防御率2.18の好成績を収めた。
そんな経緯もあって、2009年の年俸は最低保障の440万円。オフの契約更改では出来高が加わり、5000万円の1036%アップを記録した。
ただし、本人も会見で語ったように前年のレンジャーズでの年俸は150万ドル。実質的には大幅ダウンでやはり参考記録(?)にしておきたい。
オフの風物詩であり、契約更改の裏の目玉ともいえるのが「銭闘」。代理人制度の定着や事前交渉などで近年は減りつつあるが、過去には大モメに発展することも少なくなかった。
ただ、ゴネすぎて損をした選手もいる。その代表格が西武時代のG.G.佐藤だ。レギュラーの座を獲得し、打率.280、25本塁打を記録した2007年オフ、G.G.佐藤は5度も保留を繰り返した。
球団側の提示の3700万円に対し、G.G.佐藤の希望は4500万円。溝が埋まらないまま、年俸調停一歩手前までモツれ、最終的にはプラスαで妥結した。
後年、テレビ番組などで本人も語っているが、西武時代のG.G.佐藤は「尖っていた」時期で、1年目のオフから保留していたとのこと。そんなこんなで2010年に不振に陥ると、即座に1億500万円から6300万円への制限いっぱいの超大幅ダウン。2011年オフには2年連続の不振で戦力外通告を受けることになった。
当時33歳とはいえ、ファン目線でチームへの貢献度を見れば、もう1年待ってもおかしくはなかった。
ちなみに1年目で保留した選手といえば、新垣渚(当時ダイエー、2003年オフ)、八木智哉(当時日本ハム、2005年オフ)が有名だ。
ただ、1年目でも交渉の余地が生まれたことは、21世紀に入ってからの小さな前進だ。1980年代にプロ野球入りしたOBに話を聞くと、当時の新人は一列に並ばされ、有無をいう暇もなく、わずか10秒で契約書に判子を突かされて終わりの流れ作業だったそうだ。それも年俸の額は「鉛筆」で書かれていたという…。
文=落合初春(おちあい・もとはる)