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通算79勝でも、斉藤和巳が「エース」と信頼された3つの理由

2013年8月9日、楽天の田中将大が先発16連勝を挙げた。その後、田中は24連勝まで記録を伸ばしたが、この連勝記録は10年ぶりに塗り替えられたものだった。10年前、同じように先発16連勝を記録したのが斉藤和巳である。

 1995年、南京都高からドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。150キロを超えるストレートと抜群のキレを誇るフォークでホークスのエースとなった斉藤和巳。2007年までに79勝を挙げたが、その後は右肩の故障に悩まされ、リハビリを続けてきた。

 しかし、その努力も実らず、今年9月28日、引退試合を迎えることとなった。2008年から1軍のマウンドから遠ざかっていたため、1軍で登板したのは実質11年と決して長くはなかった現役生活だが、全盛時の輝きは歴代の名投手を圧倒するものだった。

 このコーナーでは、斉藤和巳がどれほど凄い投手だったのか、具体的データを挙げながら、その真相に迫っていきたい。

【前代未聞の勝率.775!
 伝説を超えた正真正銘の大投手】


 斉藤和巳の勝利数は先述したように通算79勝。プロ野球投手として少なくはない記録だが、「エース」と呼ばれた投手として、これだけ見ると平凡な記録かな、と感じる人もいるだろう。しかし、その中身はプロ野球史上稀に見る濃密度なのだ。

 その中でも最初に取り上げたいのは通算勝率で、なんと圧巻の.775。つまり4回投げれば3回以上勝ってしまう計算だ。この記録、単純に比較はできないが、今年24連勝して通算99勝まで積み上げ、勝率もグッと引き上げた田中将大の通算勝率は.739。歴代の名球会投手を見ても、最高勝率は200勝を挙げた藤本英雄(元巨人ほか)の.697。400勝投手・金田正一(元国鉄ほか)は.573とさらに1割以上低い(たくさん投げる、昭和のエースらしい数字と言えるだろう)。最も近い記録と言われるのが伝説の投手・沢村栄治(元巨人)が残した通算勝率.741ということで、斉藤和巳の記録がいかに凄いか、おわかり頂けるはずだ。

 引退試合後のスピーチで「ケガに始まり、ケガに苦しみ、ケガに終わった18年間だった」と語った斉藤和巳。仮に故障もなく現役を続けていたら、さらに記録を更新し続けていたのではと残念でならない。

 ちなみにNPB(日本プロ野球機構)オフィシャルサイトに歴代勝率記録という項目があるのだが、掲載条件が投球回数2000回以上なので(斉藤は949.2回)、現在はもちろん、今後も斉藤和巳の名前がそこに掲載されることはない。つまり斉藤和巳は隠れた最強の投手なのだ。だからこそ、この歴史的大投手が我々の時代にいたことをいつまでも語り継いでいきたい。

【15連勝以上が2回!
 勝ち続ける投手こそ真のエース】


 次は連勝記録を見ていこう。先述したように2003年に先発登板16連勝を記録。しかも登板試合15連勝(登板した15試合ずっと勝ち続けたということ)というおまけ付きだ。これだけでも凄いのに、さらに2年後の2005年には開幕15連勝を挙げている。つまり15連勝以上を2回記録しており、これはプロ野球史上、斉藤和巳たった一人しか成しえていない快挙である。

 また2005年の連勝では、交流戦が始まった年ということでセ・パ合わせて9球団と対戦したが、そのすべてから勝ち星を挙げている。ローテーションの巡り合わせもあるが、苦手球団を作らなかったところもエースと言われる所以だろう。

 ところで、ある興味深いデータを発見した。2度の連勝中にノーヒットノーランや完全試合といった大記録を一度も達成していないのだ。これは15連勝以上の記録を持つ投手に共通の現象で、24連勝した田中将大しかり、1981年に15連勝した間柴茂有(当時日本ハム)、1951年から翌年にかけて20連勝した松田清(当時巨人)、そして1957年にシーズン20連勝した稲尾和久(当時西鉄)も同様である。エースとは1試合の記録に一喜一憂することなく、常にチームを勝ちに結びつけることに力点を置いているということなのだろうか。その意味でも斉藤和巳はエースの中のエースである。



【ポストシーズン6連敗!
 しかし、次のエースは見ていた!】


 シーズンでは無類の強さを見せた斉藤和巳だが、ポストシーズンではその本領を全く発揮できなかった。2000年と2003年の日本シリーズ、2004年から2006年までのプレーオフ、2007年のクライマックスシリーズと計10試合に登板しているのだが、成績は0勝6敗。つまりポストシーズンを6連敗のまま現役を終えたことになる。

 中でも斉藤和巳にとって特に鬼門になったのが、日本一になった2003年の翌年から始まったプレーオフ(2007年からはクライマックスシリーズ)。ソフトバンクとしては2011年に日本一になるまで6度プレーオフに進出しているのだが、一度も日本シリーズに進出できなかった。そのうちの4回に斉藤和巳が登板している。

 ところで、そんなポストシーズンの中で印象に残った試合といえば、2006年10月12日、日本ハムvsソフトバンクのプレーオフ第2ステージ第2戦を筆頭に挙げたい。説明すれば、「あぁ! あの試合か!」と思い出す方も多いだろう。

 その前日に日本ハム・ダルビッシュに敗れ、あとがなくなったソフトバンクは満を時して斉藤和巳をマウンドに送る。対する日本ハムは、この年新人で12勝を挙げた八木智哉。両投手とも好投し、緊迫した投手戦が続き0対0で迎えた9回裏。斉藤和巳はノーアウトからフォアボールを出し、その後ランナー一、二塁となったが2死までこぎつける。しかし、稲葉篤紀に内野安打を打たれサヨナラ負けを喫する。その瞬間である。マウンドで悔し涙を流し崩れ落ちた斉藤和巳を、味方の選手(ズレータとカブレラ)が抱きかかえてベンチに下がるシーンは、今でもはっきりと目に焼きついている。

 実はこの試合、我々野球ファンだけでなく、球界に与えた影響もかなり大きかったのだ。それを物語るエピソードがある。2012年1月、メジャー行きが決まったダルビッシュが日本ハムでの退団会見の席で「一番印象に残った試合は?」という質問に対し、この試合を挙げている。それは日本ハムが日本シリーズ進出を決めた試合というよりも、むしろ負けた斉藤和巳のピッチングが強烈な印象を与えたからだった。その後、ダルビッシュが球界のエースに成長したことを思えば、この試合で斉藤和巳が遺したものは非常に大きかったと言える。真のエースとはその姿、立ち居振る舞いが次のエースを育てるものなのだと感じた。

 その後、球界のエースはダルビッシュから田中将大へと引き継がれていく。そして2013年、田中将大が24連勝を記録し、押しも押される球界の大エースとなったわけだが、その同じ年に斉藤和巳が引退するというのは、とても大きな意味を感じずにはいられない。

 また今年のドラフト会議でソフトバンクから1位指名を受けた加治屋蓮は、最速152キロの速球と高速フォークが武器の長身投手で、その姿は斉藤和巳を彷彿させるともっぱらの評判だ。野球を始めた頃から斉藤和巳に憧れていたということで、ぜひとも次世代のエースとして期待したい。

 ということで、長いリハビリ生活もおしまい、やっとエースの重荷を下ろすことになった斉藤和巳。まずはゆっくり休んで、近い将来新たなエースを育てる指導者として戻ってくることを期待している。


■ライター・プロフィール
ゆきやす…1966年愛知県一宮市生まれ。左投左打。野球部経験ゼロの元ナゴヤ球場アルバイトキャプテン(大学時代6年間在籍)。卒業後、出版社勤務を経て、現在編集・ライティング・校正業へ日々精進中。野球をはじめとするスポーツの面白さを伝える新たな編集道を毎日模索中。

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