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誰も怒らない!13人で守る?相手投手は味方のコーチ???アメリカ少年野球の自由なルールとは

●アメリカ流「野球育児」とは!?

「自分の会社の野球大好き上司が『野球太郎育児が素晴らしく面白い!』って絶賛してたよ!」

 友人とプロ野球観戦をした帰りに寄った居酒屋でそんな嬉しいニュースを聞くことができた。

「嬉しいなぁ。ありがとうって言っといてなぁ。編集部にも伝えとく」

「『野球太郎育児』、うちではトイレに置いてあって、いつでも読み返せるようになってるよ。昨日はアメリカの少年野球の記事読んでたんだけど、おもしろかったな」

 4年間の「アメリカ野球育児」を体験した、新聞記者の小国綾子さんを取材した特集記事「日本人記者が見たアメリカの野球育児 〜『ドンマイ』ではなく『グッドトライ!』」。米国滞在時に小学生だった小国さんの息子さんが参加した現地の少年野球チームでのエピソードを通じ、アメリカ流野球育児が見えてくる必見のページだ。

 友人は前日に読んだ記事内容を思い起こしつつ、続けた。

「部員が13人だったら13人で打順を回したり、1試合の中でもいろんなポジションを守らせたり。目先の勝利が優先する日本の少年野球とはやっぱり違うなと思ったよ。三振やエラーをしても挑戦したことを称えて、大人たちは『グッドトライ!』って言うんだろ? 罵声を浴びせる事しか知らない日本の多くの少年野球の指導者たちに聞かせたいよ!」

 友人が熱くなってしまうのもわかる。記事を読むと、幼少期の野球ひとつとっても、日本とアメリカでは発想や言葉のかけ方がまったく違う。「野球育児」そのものが大きく異なるのだ。

「でもさ、よく考えたらおまえ、小さい頃アメリカに住んでたけど、向こうの少年野球に入ってたんだっけ?」

 突然、思い出したように友人が言う。

「入ってたよ。アメリカに住んでた時に野球好きになったから」
「ちょっとその話、聞かせてよ!」
「もう40年近く前だぞ? 今とは違うと思うよ」
「いいから!」

●プラスの言葉しか飛び交わない空間

 筆者は父親の仕事の都合で4歳から小4の始めまでアメリカ・オレゴン州で過ごした。野球に本格的に興味を持ち始めたのは小3の時。友人に誘われる形で、地元の少年野球チーム「ファルコンズ」に入団した。使用ボールは硬式ボールではなく、ゴムで覆われたソフトボールのようなボールだった。

「そうか、アメリカは軟式ボールがないんだもんな」
「ないない。小学校の体育で使うようなソフトボールのような感じだった記憶がある」

 初めての試合で守ったポジションはサード。いきなり飛んできたサードフライを捕っただけで、チームメート、指導者、保護者席がガッツポーズを作らんばかりに褒め倒してくれた。

「もうね、アウトをとるたびに優勝したんじゃないかってくらい盛り上がるわけよ。『アルプスの少女ハイジ』に出てくるペーターが吹くような口笛が終始グラウンドで飛び交ってる感じで。子ども心に『そこまで褒め倒さなくても……』って思ってたくらい」

「それはおまえが日本人だったからだろ。でも、気分が悪くないはずがないだろ? 罵声なんか絶対に飛ばないんだろ?」

「飛んだ記憶はまったくないなぁ。異常なまでの声援と『いいぞ!』『ナイストライ!』的な言葉しか記憶にない」

「日本の少年野球じゃ考えられないよなぁ……」

●相手ピッチャーは味方のコーチ!?

 私が体験したアメリカ少年野球の最大の特徴は「子どもがピッチャーを務めない」システムだったことかもしれない。

「え? どういうこと? じゃあ誰がピッチャーやるの!?」
「指導者たちが下から投げてくれるんよ」

「どういうこと!?」
「攻撃時は味方のコーチがマウンドに立って『どこに投げてほしいんだ?』なんて聞きながら、下から打ちやすいボールを投げてくれるんよ」

「へぇ〜!」
「そのコーチの後ろには相手チームの選手があらかじめ立ってて、ピッチャー付近に飛んだらその子が処理するわけ。ボールがバットに当たってフェアグラウンドに飛んだ瞬間にピッチャー役のコーチは透明人間になる、っていうシステムの野球だったんよ。フォアボール、見送りストライクはなしで、3回空振りしたら三振。ランナーはリードなし、盗塁なし。ファルコンズは部員が11人だったけど、打順は11番まで作るから全員が打てる。守備も11人全員がグラウンドに散らばってた記憶がある」

 友人は予想もしていなかったシステムに驚きつつも、「でも、そのやり方いいよなぁ!」と続けた。

「日本の少年野球の低学年の試合だと、ピッチャーはなかなかストライク入らないし、待てのサインを出したもん勝ちみたいなところがあるけど、そういう要素はすべてシャットアウトできるもんな。ピッチャーの肩、ヒジの故障もまったく心配ないし」

「いま思うと、あの時に経験した少年野球ワールドはバットをボールに当てて、ゲームをどんどん動かしていくことを一番に優先する野球だった気がする。アメリカ人に言わせれば『それが野球の原点だろうよ!』ってとこなんだろうけど」

 筆者の野球デビュー戦は3打数3安打。自分が要求したところに味方のコーチがふわりと投じた打ちやすい球だったとはいえ、気分はいいに決まってる。周りの大人たちに「デビュー戦で3の3だと!? おまえは天才か!?」などと過剰なまでに持ち上げられながら、始めたばかりの野球が一段と好きになった日でもあった。

●押し入れから出てきた39年前の集合写真

 友人と別れ、家に帰宅するや、妻に訊ねた。

「なぁ、おれが小3のときのアメリカの少年野球チームの集合写真がどこかにあったと思うんやけど、知らん!?」
「たしか、押し入れにあったよ!」


 妻が引っ張り出してきたセピア色の写真。まぎれもなく、39年前のファルコンズの集合写真だった。試合の度にピッチャー役を務めながら、いつだって前向きな言葉をかけ続けてくれたコーチの右腕付近に9歳の自分が写っている。「なんか…『がんばれ!ベアーズ』みたい」と妻。

「『がんばれ!ベアーズ』よりもひどかったと思うよ、この野球は……」
「でも、楽しかったんでしょ?」
「すさまじく楽しかった」
「野球の原点としては最高じゃない」

 39年前に体験した摩訶不思議な野球。自分の孫あたりにぜひやらせてみたいものだ。


文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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