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第二回「親子鷹の作法」

子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考えるコーナーの第二回目。野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「親子鷹」の難しさをつづります。

◎いつの間にか抜けられない世界…

 2人の息子が地元の軟式野球チームに入団したのは今から約7年前となる、2005年のことだった。当時小2の長男が5月に入部し、幼稚園の年長だった次男が兄の後を追う形で、8月に入部した。
 家から自転車で10分ほどの距離にある、河川敷がチームの練習場だったのだが、まだ幼い息子らだけで通わすのは心もとなく、毎週末ごとに付き添いのため練習場へ足を運び、終わる時間まで練習を見学していた。
 そのうち、せっかくグラウンドにいるのだからと、低学年の練習の手伝いをするようになり、その流れの中で、いつしか「父兄コーチ」という肩書きがつくようになった。2005年11月になると監督から「下級生の公式戦のベンチに入ってもらいたいから、ユニホーム購入して」と言われ、翌2006年2月に開かれたコーチ会議では、ホワイトボードのヘッドコーチという名の役職欄に私の名前が書かれていた。
(あれれ? なんだか随分と責任重大なことになってないか…?)
 ふと気づけば、少年野球の世界から、おいそれと抜けられない立場に自分がいることに気づいた。

 チームの指導者は、自分の子どもがチームに現役で在籍している、いわゆる「父兄コーチ」が大半を占めていた。「情が入るのを防ぐため、自分の子がいる学年の指導は担当させない」というルールを設けているチームは少なくないらしいが、息子らが在籍したチームにはそういった決まりはなかった。
 へッドコーチ就任一年目は、6年生が主体の「A級」と称される高学年の指導を担当していたため、低学年の息子らとグラウンドで直接からむ場面はほとんどなかった。しかし、長男が4年生になる年、4年生が主体の「C級」を私が担当することになった。自分が指導し、采配を振るう領域に息子らがいる。そんな状況がやってきてしまったのだ。
(「コーチの息子だから優遇されている」なんていう声がチーム内で万が一にでも出ないようにしないといけないぞ…)
 こんな状況にふさわしい教本はないものか。本屋の育児書コーナーへ足を運び、少年野球における親子関係をテーマにした本を探せど見当たらない。私は、わらをもすがる思いで、家にあった現巨人監督・原辰徳の自叙伝的な本を読み返した。高校、大学時代に監督と選手の関係にあり、親子鷹として有名だった原辰徳と父・貢。息子が東海大相模高に入学を決めた際、父は「グラウンドに出たら親子ではなく、監督と選手。贔屓ととられないよう、ほかの選手の何倍もの実力差がないと試合では使えないし、同じミスをしてもチームメートの数倍殴る」と宣言。実際、チームメートの同情を買うほどに殴った、という話はよく知られている。
 意を決した私は、息子らと一緒にお風呂に浸かりながら、少年野球における親子のけじめについて話をすることにした。殴るという箇所だけを省き、内容は原の父親が息子の辰徳に宣言したこととほぼ同じようなことを言った。息子らはきょとんした表情で私の話を聞いていた。
「今日のお風呂やけに長かったけど、3人でなんの話してたの?」
 そんな妻の問いかけに、すべてを洗いざらい話した。妻は「それはいい話をしたねぇ」とは言ってくれなかった。
「そりゃあ贔屓ととられたりしたら私もいやだけど、原さんがお父さんに宣言されたのって、高校に入るときでしょ? あの子らまだ小学4年生と2年生よ? なんか母親としては、そんな小さいときから厳しくやりすぎるのは、見ててつらいものがあるなぁ…」
「いや、周りから『あいつらお父さんが直属のコーチで大変やなぁ…』って同情されるくらいでちょうどいいねんて!」
「原さんの場合はお父さんが監督をしている高校に行く決断を息子自身がしてるけど、うちの場合は子どもが入ったチームのコーチにあなたが後からなってるんよ? それで親子の縁をグラウンドで切るとかいきなりいわれてもあの子らにしたら『はぁ?』って感じじゃない?」
「……」



◎罵声が子どもを守っていた?

 妻の言葉が引っかかったが、結局、私は「原貢流」を採用し、貫くことにした。
 同じミスでも息子らが犯したミスに対しては、他の選手の数倍の勢いで叱った。他人の子に手を上げたことはなかったが、息子らに対しては計3度手を上げた。逆に活躍したときはほかの選手の数分の一のトーンでしか褒めることができなかった。
 ある同僚コーチからは「服部さん、自分の息子に厳しすぎますよ。あれじゃ完全に逆贔屓ですよ。父親がヘッドコーチであろうが やっぱり平等にしてあげないとかわいそうですよ」とたしなめられた。たしかにそのコーチは自分の子に対してもバンバン褒める。私からすれば「平等よりもやや甘めじゃないの?」くらいに映る接し方だった。ほかにも、実力でやや劣り気味のわが子をレギュラーで起用し、保護者間で波紋を呼んでいたコーチもいた。自分には到底できないことだと思った。
 結局、私は路線を変えないことにした。ただし、グラウンドでは褒めないかわりに、家に帰ればきちんと褒めるように心がけた。「昼間の野球を家に持ち込んで、ぐちぐちと叱ることはやめよう」と強く心に決めた。そんな親子関係は次男が中学生になり、ともにチームを卒団するまで、約5年間続いた。

「ほんっと、見てて胸が痛くなる時があったわよ…。あんな小さい頃から、お父さんにグラウンドでボロッカス言われて…」
 先日、妻が息子らの少年野球時代の写真を整理しながら、そんなことを口にした。
「そういえば、前に一度、『お父さんがコーチでいやでしょ? いないほうがよくない?』って二人に聞いたことがあったのよね」
「そうなん? あいつら、なんて言ってたん?」
「『最初はいやだなぁと思ったけど、そのうち、きつい言葉も気にならなくなった。周りの目を考えたら、自分の子どもに対してはどうしてもそうなるし、仕方ないよ。それにグラウンドで親に厳しいこといわれてるのは自分だけじゃないし』なんて言ってたよ」
「へ〜そうなんやぁ…」
 思い起こせば、自分の子に甘めの指導者がいる一方で、私同様、グラウンドでは、自分の子にやたらと厳しいコーチもおり、どちらかというとそのタイプの方が多かった。中にはフェンスの外からお父さんの声にかぶせるようにわが子を罵倒する母親も存在した。わが子がエラーでもしようものなら、父と母の「なにやってんねん!」という罵声が同時にグラウンドに響き渡ったものだ。
 妻は「あの罵声で自分の子らを余計に委縮させてたよね」と笑いつつ、「でもさ、あれって結局、自分の子どもを守ってるのよね」と続けた。
「親が自分の子に誰よりも早く罵声を浴びせると、ほかのコーチや親は『まぁまぁ、親御さんよ、そこまで言わんでも…』っていう空気になるでしょ? 自分の子がよその人から罵声を浴びたり、心の中で『なにやっとんねん!』と思われるくらいなら、自分で自分の子に先に言っちゃったほうが気が楽だもん」
「なるほど…そういわれりゃそうだよな。おれもベンチの外からその子の親の罵声が聞こえてきたら、その子にはそれ以上なにもいえなくなっちゃうもんな」
「でしょー?」
 ん、待てよ? 自分がわが子にグラウンドで厳しく接し続けたのも、つまるところ、わが子を守る行為だったということか…?
 なんだか大甘な親みたいで釈然としないが、きっとそういうことなのだろう。




文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチでもある。

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