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小笠原、成田、高橋……今大会は左腕の当たり年!?「高校野球100年」伝説のサウスポーは誰だ?

 全出場校が出そろった甲子園大会。今年の高校生は左腕不足……なんてこともセンバツ時には言われていたが、どっこい、花巻東(岩手)の高橋樹也、大阪偕星学園(大阪)の光田悠哉、秋田商(秋田)の成田翔などなど、左腕の活躍が光っている。そして、本日8月12日の第1試合には、左腕界の大将格である小笠原慎之介が在籍する東海大相模(神奈川)が登場する。どのような投球を見せてくれるか、楽しみだ。


 過去、甲子園を沸かせてきた数多のサウスポーたち。その先駆けともいえるのが、甲子園黎明期に黄金時代を築いた和歌山中(現桐蔭)のエース・小川正太郎だ。「高校野球100年」の今だからこそ、先人の偉業を振り返ってみよう。

【なんと合計8度の甲子園出場! まさに甲子園の巨星!】

 小川正太郎が活躍したのは大正時代末期から昭和初期にかけて。当時としては珍しい180センチ近い長身で「2階から投げおろす」と称されたカーブとストレートが武器の左腕投手だった。

 名門・和歌山中野球部に入部した彼は1924(大正13)年の夏、1年生ながら右翼手として甲子園デビュー。当時の中等学校の教育期間は5年間で、春のセンバツも含めると合計8度も甲子園に出場しており、そのほとんど全ての大会で和歌山中のエースとして活躍。1926年には8者連続奪三振を記録するなど、まさに“甲子園の巨星”と呼ぶに相応しい投手だった。

【海外遠征でも大活躍! アメリカ人をキリキリ舞いさせたピッチング】

 4年生時の夏は海外遠征でアメリカへ旅立ち、その夏の大会は甲子園には出場しなかった。小川はそのアメリカ遠征でも大活躍をみせる。ハイスクール相手のケント高戦で17奪三振、被安打わずか3で完封勝利をあげるなど素晴らしい投球を披露。現地でも話題になったという。こうした活躍もあり、小川投手は「中学野球界の麒麟児」とも呼ばれていた。

【華麗なる投球フォーム! その驚愕の練習方法とは?】

 左腕から繰り出されるストレートとカーブはどちらも一級品で、その投球フォームは流れるような美しさで「芸術品」と呼ばれていた。あの沢村栄治も小川投手の投球フォームを参考にしたといい、当時、全国の中等球児にとっては小川投手の投球を打つことが大きな夢だったといわれている。

 またその投球練習にも“伝説”が残っている。学校の校庭に生えている松の木めがけてボールを投げ、真っ直ぐに跳ね返ってくるように練習を重ねる……という、まさに『巨人の星』の世界を実際にやっていたのだ。ちょっとでもずれると自分のところに跳ね返ってこないので、精密なコントロールが身につくように鍛えられたという。

 和歌山中を卒業した小川投手はその後、早稲田大学に入学。野球部では1年生時から大活躍した。しかしながらその全盛期は短く、胸に病を患うなどして試合を欠場するようになり、表舞台から姿を消してしまった。

 理由としてあげられているのは中学時代の登板過多や猛練習の疲労、または学生結婚したから……という噂もあったが、真相は今でも謎である。

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