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DH制のはじまり

 雑誌『野球太郎』の連載でも御馴染み「伝説のプロ野球選手に会いに行く」の「週刊版」。現在、文庫版“伝プロ”も絶賛発売中!


 前回の続きです。
 1974年のオールスター第1戦、阪急(現オリックス)の高井保弘さんが放った代打逆転サヨナラホームラン。当時、この一打に触発されたアメリカの新聞記者が、次のような見出しが入った記事を執筆しました。

<高井選手と“指名代打制” パ経営者に一考>

 同年発行のある週刊誌に掲載されたもので、記者の名はネイト・O・マイヤーズ。

 文中では指名代打(指名打者)=DH制の採用を訴えていて、<さしずめ、高井選手あたりは屈指の候補者である>と書かれています。ベースボール発祥の国出身の記者らしく、MLBアメリカン・リーグがDH制を採用した後、観客動員を増やした事実を紹介。その上で、パ・リーグ球団の経営者がDH制を研究課題にし始めている、ということも伝えられていました。

 記事のコピーを手渡してくれた高井さんは、「DH制はね、この記事がきっかけになって始まったんよ」と説明。文面から察するに、きっかけのひとつになったことは確かなようです。

「高井を使わないことにはもったいない。代打ではもったいない、ってね」

 そうして、パ・リーグでDH制が採用されたのは、翌75年から。投手のクセを把握して放った高井さんの一打が採用のきっかけをつくり、パ・リーグ、ひいては日本のプロ野球を変える契機になったわけですが、何よりもまず、変わったのはご本人の野球人生でした。

 高井さんは、制度導入1年目の75年からDHで28試合に出場。77年からは3年続けて規定打席に到達したなか、78年は打率.302、22本塁打、79年は打率.324、21本塁打をマーク。代打男がレギュラーになり、阪急打線の中軸を担うようになっていったのです。


▲現役生活は19年間と長かった高井さん(2004年)。通算1135試合に出場して665安打、130本塁打、446打点を記録。130本のうち27本を代打で放った。

 いわば、自らのバットで切り開いた、第二のバットマン人生。さぞかし充実の日々だったと思いきや、ご本人からはなんとも意外な答えが返ってきました。

「指名打者でレギュラーで出とるから、3年ぐらいブランクあるでしょ? ワシの代打ホームラン人生には。もちろん、レギュラーになったら年俸はようなるけど、代打の楽しみは減るわけよ。まあ、世界記録までいったんやからええか、とは思うんやけどね」

 レギュラーで試合に出た期間が「ブランク」だなんて、高井さんにしか言えない言葉でしょう。そしてその「世界記録」とは、代打本塁打27本というMLBにもない数字。ご本人にとってはこの記録こそが誇りであり、代打こそがアイデンティティなのです。

 ところで、マイヤーズ氏が執筆した記事には、当時の高井さんのコメントも載っていました。

<ボクはみなさんが考えるほど難しく考えていないですね。真っすぐなら真っすぐ、それ一つにネライをしぼります。カーブにしようかなどと迷ったらいかんですね。まあオールスターでいいとこ見せてしまったからこれからはヒット打っても喜んでもらえんかも知れん。だけどボクは物ごとを深く考えないからいいのと違いますか。ハッハッハ>

 まさに、迷わず<それ一つ>にネライをしぼれるのも、密かに投手のクセを盗む技術を会得していたからこそではないか、と想像できる言葉。

 今にして読むとゾクッとさせられますが、高井さんは僕に手渡した記事のコピーを覗きこみながら「そこでしゃべっとるとおり、ワシはええ加減なバッターやったと思うよ」と言いました。

 え? となった僕はすぐさま、「ええ加減では、代打でもレギュラーでも結果を残せなかったと思うんです。そこはやはり、クセ盗みの技術があったからではないですか?」と返していました。すると高井さんは「ふふっ」と笑って、すぐにこう言ったのです。

「相手からしたら、ええ加減に見えるのよ。そう見えるぐらいがちょうどええの……。実は几帳面なんよ。真面目なんよ。野球が好きなんよ。好きやからプロ野球、選んだんですよ」

 たたみかけるように発せられた言葉のなかで、「ええ加減」どころか「几帳面」こそは、高井保弘という野球人らしさではないかと感じました。

 なにしろ、現役時代は投手のクセを連綿とメモしていただけでなく、保管用に予備のノートまで作っていた選手。引退後にインタビューを受けるに当たっては、クセをメモしたノートはもとより、関連記事のコピーはじめ取材者向けの資料を準備して持参する――。少なくとも僕自身、他の野球人の取材ではなかったことです。

 当然ながら、投手のクセを探して盗むこと自体、几帳面だから続けられたのでしょう。続けた先に代打ホームラン人生があり、DH制採用のきっかけとレギュラー獲得があったと言えそうです。

 そこで、あらためてDH制の話。導入1年目の75年、「きっかけとなった高井さんが、阪急初の指名打者になった」と書きたいところです。しかし、75年の開幕戦のスタメン、指名打者は別の選手でした。

(次回につづく)


<編集部よりお知らせ>
 facebookページ『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。

文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。『野球太郎No.005 2013夏の高校野球大特集号』では『伝説のプロ野球選手に会いに行く』の番外編として、「伝説の高校球児」バンビこと坂本佳一氏(東邦高)のインタビューを掲載している。
ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント@yasuyuki_taka

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