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カープ暗黒時代を支えた名手・東出輝裕 「仕事」として全うした野球人生

シーズン最終戦翌日の10月8日、広島の東出輝裕内野手が引退会見を行った。東出は、カープ一筋17年、二塁手として2度のベストナインを獲得するなど、内野の要としてカープ暗黒期を支えた功労者だ。

 黄金世代の高卒ドラフト1位ということで知名度も人気も高かった名手・東出輝裕の野球人生を追ってみたい。


【挫折期】プロ野球デビュー、そして挫折

 東出は1998年のドラフト会議で、広島から1位指名を受け、敦賀気比高より入団。初年度から78試合に出場し、守備・走塁で高いセンスを見せつける。高卒1年目の野手が見せた躍動感あるプレーに夢を抱いたファンが数多くいた。

 2年目、二塁手から遊撃手にコバートされた東出は、出場機会が激増。打撃成績も前年を大きく上回りレギュラーに定着。3年目には全試合出場と、順調に成長し、入団当初の期待通りチームの中心選手となるのだった。

 しかし、出場数と比例するように増えていったのが、失策の数であった。2000年は25個、2001年には27個の失策を記録し、2年連続で最多失策となってしまう。

 打球が変化しやすい土のグランド、補殺数はリーグ上位と、擁護すべき点は多々あるものの、目に見える記録は周囲の評価へと変わる。

「東出の守備は下手」

その悪評はファンだけでなくチーム首脳陣にも蔓延してしまう。

 そこから3年間、守備が下手というレッテルを貼られた東出に出番は回ってこなかった。例え2軍で4割を超えるアベレージを記録していてもだ。

 このまま東出は忘れられた選手となってしまうのか? 「俺は守備がうまい」そう暗示をかけながら出番に飢える日々が続いていた東出に転機が訪れる。


【転換期】復活から飛躍、チームの顔に成長

 2006年、カープの指揮官は山本浩二からマーティ・ブラウンに変更。東出の才能に魅入られたブラウンは二塁手として東出を起用。

 その期待に応えるかのように、はたまた、ここ数年の鬱憤を晴らすかのように東出は躍動。この年、自身最高の.282の打率を残すとともに、下手と言われ続けた守備では失策は8。刺殺、補殺はともに二塁手リーグトップと、その汚名を完全に返上してみせた。

 2008年には自己ベストの打率.310を記録。初のベストナインも獲得。翌年もチームトップの打率を残す活躍をみせ2度目のベストナインを受賞。カープの顔として押しも押されもせぬ選手へと成長したのだった。

 しかし2012年、骨折で2軍落ちした東出が1軍に復帰した時、二塁を守っていたのは、当時ルーキーの菊池涼介だった。東出のケガの穴を埋めるために昇格していた菊池は、その超人的な守備力でファン、首脳陣の心を鷲掴みしていたのだ。

 それは、東出が現れた時の衝撃に近いものがあった。忘れもしない、1年目の8月6日、対巨人20回戦のランニングホームラン未遂。あのプレーで心を鷲掴みにされたファンも数多くいるはずだ。菊池の台頭は、それ以上の衝撃だったかもしれない。

 そして、東出は完全にポジションを失ってしまった。


【終焉期】ケガで失った自分の「仕事」

 翌2013年、レギュラー奪還を目指しキャンプに臨んだ東出。しかし、そこで悲劇が待ち受けていた。紅白戦で「左膝前十字靭帯断裂」の大ケガを負ってしまうのだ。足と守備をウリにしてきた東出にとってこの大ケガは、死刑を宣告されたも同然であった。

 そこから1軍復帰を目指して奮闘してきたが、回復はならず、今季での引退を決意した。そんな東出の引退会見は、晴れ晴れとしたそれでもなく、未練や悔しさを滲ませるそれとも違う、淡々とした、従来の会見とは少し異質な引退会見だった。

 その中に置いて、東出は、17年間の現役生活を「仕事」と、表している。

 確かに東出は常に野球というスポーツではなく、仕事として野球と向き合っていたように思える。

 2398打席連続無本塁打に見られるように、振り回すことなく流し打つ事で次打者に回すスタイル。打ちたい球も我慢し見逃す事で投球数を稼ぐ、264個の犠打に現れるように、自身を犠牲にして仕事をこなしてきた証拠であろう。

通算打率.268 12本塁打 打点262 1366安打

 数字だけで見れば、今年引退したその他の有名選手に比べて地味な事は否めない。しかし、その数字以上の「仕事」がそこに詰まっていたのではないだろうか?

 自分の我を殺して、チームを勝利へ導く仕事をこなす。一見感情を表さないように見える東出だが、その仕事へのプライド、勝利への貪欲さはプレースタイルに集約されているような気がしてならない。

 引退会見で「投手をやりたかった」と語った東出。仕事を抜きにした野球ならば、高校時代のように本気で「1番・投手」になりたかったのかもしれない。

 そんな東出入団当時のカープは、まさに暗黒時代の真っ只中。特に一番活躍した時代では優勝はおろか、Aクラスすら遠い現実の有り様であった。当時と比べてカープも徐々に力を付け、2013年には14年ぶりのAクラス、初のCS進出を果たす。

 しかし、暗黒時代を牽引した東出は、CS進出を喜ぶ輪の中にはいなかった。その現実に複雑さを覚えたファンも多いはずだろう。また、勝利を欲して仕事をこなした男にとっては辛い現実であったに違いない。


 選手として勝つ喜びに恵まれなかった東出。来季からは指導者としてカープに残ることが決まっている。自らが味わえなかった勝利の美酒を指導者として味わえるのか? 東出の第2の野球人生にも注目したい。


次回12月22日(火)は『プロ野球引退物語2015』山本昌編と西口文也編を公開予定(*本文中の年俸は全て推定)


文=井上智博(いのうえ・ともひろ)

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