■古葉竹識さんとの出会い
人の出会いってあるよね。何回かあると思うんだ。
『赤き哲学』にも書いてあるけど、僕の場合は古葉竹識さん(現東京国際大学監督)が断然そうだった。
古葉さんは僕が入団したときはコーチで、その後、カープの監督となって黄金時代を築いた人。同時にプロに入ったばかりの頃、「とんでもないところに来てしまった」と路頭に迷いかけていた僕に「足だけでもメシを食えるんだぞ!」と道を示してくれた人でもある。
スイッチヒッター挑戦の提案をしてくれたのも古葉さんだった。その意味では、僕の場合は古葉さんとの出会いがすべてだった、と言っても、決して言いすぎじゃないと思っている。
こういう出会いというのは誰もにチャンスがあるはずだけど、自分が見えていないと捕まえきれないし、気づかないうちにすれ違ってしまうこともあるよね。だから僕の場合は、古葉さんに出会えたこと、古葉さんの教えるスタイルが自分に合っていたこと、その教えに思い切って乗っかっていけたことはすべて幸運だった。
一般社会でもそうだと思うけど、誰もが心のどこかに「がんばろう!」と思う気持ちはあるじゃない? でも、どうがんばっていいかがわからない。方向性があやふやだと“アバウトながむしゃら”になってしまうでしょ? 良い上司と出会って、自分が進むべき道を示してくれると、それに絞って、がむしゃらにいける。まあ、そういう出会いに恵まれなくても、自分で思いつくものを全部やって、そこから見つける方法ももちろんアリだけど。
でも、よく考えたら、当時の僕は「足だけでメシを食える」というより「足でしかメシが食えなかった」というのが本当だったけどなぁ。
古葉さんが声をかけてくれた時、オレが後々カープであれだけの実績を残す選手になると思っていたかって?
どうなんだろう? わからんねぇ。
あったとすれば、入団して最初に一度転向した外野手としては、(山本)浩二さん、ライトル、水谷さん(実雄)が盤石だったから芽はないということだろうね。そして、ショートなら三村さん(敏之)が衰え出してきたからうまくハマる、という考えはあったんじゃないかな。
今、コーチの立場で、当時の僕のような選手がドラフトで入ってきたら、どういう指導するか?
うーん。それも、わからん(笑)。
ただ、西岡(剛/阪神)のようなヤンチャなタイプを教えるのは、比較的ラクだったよ。
ロッテに入ってきたばかりの西岡は、身体能力はあったし、当時の僕なんかよりもはるかに上手さを持った選手だったけど、自分自身のことを理解していなかった。だから、結果がついてこなかったり、外からの情報とか刺激を受けるとガンガン揺れたりするわけ。
でも、それは使い方を知らないだけだったから、注意すればいいだけ。
逆に、何でもできて真面目な選手の方が難しい。今江(敏晃/ロッテ)やダイエーのコーチのときに教えた村松(有人)なんかがそうだったなぁ。どうやって直したらいいか悩んだよ。
それと、ジーっと黙っている選手も難しい。うるさい選手、ヤンチャな選手は注意すれば反応があるからいいけど、静かな選手に「もっと元気だせよ」というのは本当に難しい。
カープ時代にそういう真面目な人がいたか?
いや、知らない。そんな周りに気を使う余裕なんてなかったよ。
■スイッチヒッター挑戦にみる「覚悟」
大越基(現早鞆高監督)っていたでしょ。ダイエーのコーチ時代に教えていたんだけど、あいつはすごい足を持っていたね。オレより速かったよ。
当時、スイッチを薦めたことがあって、最終的にはある人に「お前はスイッチになっても仕方がないだろう?」と言われて、結局実現しなかったけど、もし挑戦していたら人生変わったかもしれんね。
昨年のオフに、菊池涼介(広島)も挑戦するような話が出ていたけど、すぐにやめてしまったよね。
やめたのはいい。でも、なぜやるって言ったのか? なぜやめたのか? ということが大事よ。
スイッチヒッターへ転向できれば、トータルで絶対的にプラスになるよね。左のほうが一塁に近いわけだから。僕の場合は右打席でも結構打っていたから、苦手をカバーするというよりは、もっと前向きな挑戦だったよね。
でも、きっかけは単純だったのよ。古葉さんに「スイッチにするか?」と言われて「いいですよ」って。何も考えないで。正直なところ、返事したときは「プラスになるだろう」という考えすら実は何もなかった。
そんなもんだって。あとで死ぬ思いをしたけどね(笑)。