きっかけは「奇言奇行の人」だった
−−『伝説のプロ野球選手に会いに行く』の著者は、会いに行く前にどんな本を読んだのか?−−
このたび、そのようなテーマでトークイベントを開催することになりました。お相手は、当サイトの『ベースボール・ビブリオ』を登場している小野祥之さんと鈴木雷人さん。スポーツ専門古書店『ビブリオ』店主の小野さん、ライターの鈴木さん、ともに以前からお付き合いのあるお二人です。リラックスした感じで、野球好きの方が興味を持てる話ができればいいなと思っております。
(イベントの詳細は下記のお知らせをご覧ください)
そこで今回はイベントにちなみまして、「会いに行く前に読んだ本」の一部を紹介したいと思います。当然、野球本なのですが、僕自身、往年の名選手に興味を持つきっかけとなったのは、『豪打列伝』(スポーツグラフィック・ナンバー編)という文庫本でした。
長嶋茂雄がフルスイングした瞬間、背番号3をとらえたモノクロのカバー写真に惹かれ、手にとったのが最初。<ビジュアル版>とあるだけに選手の写真が豊富に載っている内容が気に入って、今から27年前、当時学生だった僕は即買いしました。
▲1986年5月に刊行。のちに『豪球列伝』、『巧守巧走列伝』などが刊行された。
ONを筆頭に40人近いバッターが紹介されているなか、とりわけ印象に残ったのが、
榎本喜八(故人)の記事。現役引退から十数年後に行われたインタビューを素にしています。
毎日、大毎、東京、ロッテ時代を通じてオリオンズで活躍し、最晩年は西鉄でプレーした榎本。早稲田実業から入ったプロ1年目の1955年に打率.298を記録して新人王に輝き、タイトルは首位打者2回、ベストナイン9回。実働18年で通算2314安打、246本塁打、979打点という生涯成績を残しています。
それほど偉大な野球人を紹介する記事の表題は、<「安打製造機」とも「奇言奇行の人」とも呼ばれた男の伝説>。見開き扉ページの写真は打席で鬼気迫る顔の榎本をとらえ、その表情と表題とが見事に合致していて目を奪われ、僕はすぐさまページを開きました。
<「野球の天才といえば、バッターでは四人いるんじゃないですか。川上哲治、長嶋茂雄、それにぼくと王貞治、ですね」>
冒頭に置かれたこの発言。自分自身をすんなり「天才」と言えるだけの人なんだ、と思ったとき、別世界に取り込まれたような感覚になりました。インタビュアーの岡崎満義氏(ナンバー初代編集長)は、榎本の声と様子をこう書いています。
<ある種の宗教的な至高体験を味わった人、あえていうなら神サマの歯で精神の端っぽをちょっぴり噛み砕かれた人がもつような柔らかい声が、榎本の頭の少し上の辺りから滑り落ちてくる感じだ。インタビューの間中、その声の柔らかさは変らなかった。膝の上にキチンと手をのせて、背筋を伸ばした姿勢も、最後までまったく崩れない。>
どう読んでも「奇言奇行」に結びついてしまう記述。岡崎氏は続けて、<榎本の言葉はときどき、論理の結び目が見えなくなって、こちらはあわててしまう>と書き、一例として当時三冠王を獲得した落合博満、そのバッティングについて訊いたときの言葉を挙げています。
<「ロボットが違うんですから。ほどほどの生涯でしょ、おとななら。何もいうことはないんですよね。おとなで自覚してやっているんですから。ほどほどの仕事をして、ほどほどの恋をして、ほどほどの月給をもらって、ほどほどのところで死ぬというのがおとなでしょう。ほどほどに練習して、ほどほどの待遇をいただく。それがおとなでしょうから。だから何も言うことはないですよ。ロボットが違うんだから」>
岡崎氏は当然のように<この「ロボット」がわかりにくかった。>と書いているのですが、僕は、わかる・わからないを超えていると思いました。あとに続く文章を読むと、ロボットの意味はだいたい理解できるので、<わかりにくい>という表現は適切です。しかしながら僕は、こういう凄い言葉を発する往年の名選手がいると知って、野球の深みに初めて触れたような気がしました。
「奇行」についても、オールスターの試合前練習に一人だけ参加せずベンチで座禅を組んでいたとか、引退して数年たったころも深夜に長距離のランニングを続けていたとか、やはり野球の深みを感じさせるものばかり。
文章は途中から一問一答形式のインタビューが挿入され、そのなかにも<わかりにくい>言葉は出てきて、一問一答だけになおさら普通とは違った対話が際立ちます。
僕自身、大学卒業後は野球とは縁のない出版社で雑誌編集に関わり、フリーライターになった当初も情報誌の仕事をしていました。野球の雑誌で「伝説のプロ野球選手」の取材を始めたのは14年ほど前ですが、そうなるまで、榎本の記事を忘れたことはありません。自分では気づかないうちに、岡崎氏の文章を参考にしていたかもしれないです。
しかし残念ながら、榎本喜八に会いに行くことはかないませんでした。これはもう縁がなかったというべきか、会いに行くだけの理由が巡って来なかったというべきか、気がつくと同様の記事が他誌に出て、関連の単行本も刊行されました。となると、それから会いに行っても焼き直しになってしまいます。
そもそも、今あらためて読んでも『豪打列伝』の榎本喜八インタビューは胸に迫るものがあるので、きっかけはあくまでもきっかけだった、ということにしておこうと思います。
▲この鬼気迫る表情に目を奪われた。25ページにわたる記事には、打撃フォームの連続写真も掲載。
3年前、雑誌の取材で岡崎氏に初めてお会いしました。ナンバー創刊時のエピソードをはじめ、興味深いお話をたくさんうかがいました。その際、榎本喜八の印象を聞くに至らなかったことが、唯一の心残りです。
(※榎本喜八については、
増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』に収録した稲尾和久の項で読むことができます)
<編集部よりお知らせ>
facebookページ
『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。
『野球太郎』トークイベント<出張!ベースボール・ビブリオ 野球本放送席@第二千葉マリンスタジアム>に出演します。
日時/2013年2月24日(日) 13:00〜
場所/三省堂書店カルチャーステーション千葉店
住所およびアクセスに関しては
こちらをご参照ください。
文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。『野球太郎No.003 2013春号』では中利夫氏(元中日)のインタビューを掲載している。
ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント
@yasuyuki_taka