第11回 「印象に残る契約更改」名鑑
「野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第11回のテーマは、「印象に残る契約更改」名鑑です。
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プロ野球ファンにとってのオフの大きな関心事、契約更改が今年も粛々と行われています。FA制度の導入以降、加速してきた年俸の高騰により、選手間、球団間の年俸格差はぐんぐん拡大。契約の形も様々になっていて昔のように年俸が「頑張りの評価」をはかる、わかりやすい定規にはならなくなった部分もあります。ただ、グラウンドでプレーする姿だけでは想像もつかない、選手の新たな一面を見ることのできる貴重な機会であることは変わりません。今回は、そんな契約更改で目立った選手たちをまとめました。
1990年落合博満(中日)
1987年にロッテから中日に移籍して、年俸を史上初の1億円に乗せた落合博満。初の三冠王となった82年のオフには、報道陣に自ら年俸額とその内訳をはっきりと話すなど、若いうちから「プロ野球選手が給料にこだわること」についてまったく迷いを見せなかった。王貞治(巨人)の最高年俸が8000万円台だったという前例もあって、誰もが越えられなかった「億」の壁を越えられたのも、グラウンド内同様のこだわりを貫ぬく姿勢があったからだろう。
その後も長く最高年俸選手であり続けた落合の契約更改でのエピソードは多いが、ここでは90年オフの「年俸調停」の話を。中日に移籍し4シーズンを過ごした90年のオフ、本塁打と打点の2冠王を獲った落合は1億6500万円からの大幅アップを求め球団と交渉。しかし折り合いがつかず年俸調停に持ち込まれた。落合が2億7000万円、球団は2億2000万円を提案し、結局調停委員会は球団側の額で裁定を下した。それまで誰もが聞いたこともない金額を掲げ、こだわる落合を金の亡者のごとく伝えるマスコミもあったが、落合はどこ吹く風。それもそのはず、真意は制度としては存在しながらも実際は有名無実になっていた年俸調停を行うことで「敷居を下げる」ところにあったことを後日うかがわせている。球団との関係も悪いものではなく、ビジネスとして割り切った話し合いができていたようだ。
[落合博満・チャート解説]
当時はそこまで評価されていたとは言いがたいが、選手の地位向上に貢献。
大義度は5。テレビなどで理路整然と野球を語る姿からも交渉力は容易に想像がつく。
銭闘力は5。何か特別なことはせずとも、史上初を更新する金額が衝撃。
インパクトは5。
チャートは、契約更改における行動に納得できる理由があったかを計る
「大義度」、手練手管を駆使する球団や自らのイメージ悪化にもひるまず言うべきことが言えるかの
「銭闘力」、更改時のコメントや出来事そのものが与えた
「インパクト」を5段階評価したもの(以下同)。
2000年下柳剛(日本ハム)
落合が初めて年俸調停に挑んでから10年後、日本ハムの中継ぎの柱から先発に転向し活躍した下柳剛が調停を申し立てた。その際、下柳は上杉昌隆弁護士と
代理人契約を結び交渉を行った。92年頃より認可が求められてきた代理人による交渉は、「弁護士資格を持つもの」という条件付きながら98年に認める方針ができ、下柳はそれに則り交渉を行った。下柳本人は交渉に立ち会わなかったことが問題視されたが結局それも不問とされ、下柳側が1億5000万円、球団が1億3750万円での契約を求めて交渉。難航を極め計8回の交渉を経て、結局1億4000万円での契約となった。
だが、落合のケースとは違って互いに不信感は募ったようだった。成績を落としたこともあり下柳は2年後にトレードで阪神へ。年俸は一度7000万円まで下がったが、その後の活躍で再びアップ。最高で1億9000万円まで上昇し、人気球団への移籍によって日本ハムでは叶えられなかった高年俸を勝ち獲っている。
[下柳剛・チャート解説]
強い風当たりがある中、「交渉を専門の代理人に託しオフは調整に専念する」ことを可能にする制度に挑戦。
大義度は5。本人に交渉力があれば、代理人も不要だった?
銭闘力は4。阪神時代は愛犬の世話にかかる費用を契約に組み込む交渉も実施するなどの話題も。
インパクトは4。
2011年杉内俊哉(ソフトバンク)
90年代以降は、全体を通して見れば契約更改は選手優勢だった。年俸額もアップし権利の拡大も続いてきた。だが、それが球団経営を圧迫していたことも事実で、その結果生じた混乱に巻き込まれたのが杉内俊哉のケースだろう。
チームを日本一に導きFA権を手にしたエースに対し、ソフトバンクは4年総額16億円を提示。しかし、前年より本格導入された過去の貢献を評価せず、年俸の上昇下降が激しく起こる新しい査定基準に対し杉内が拒否反応。その見直しも材料に交渉を行った。さらに実際の交渉では球団側の「FAしても取る球団があるんですか」などの発言が出ると杉内は完全に心を閉ざしFA宣言。交渉の末、巨人が4年20億円での契約を提示し杉内は入団を決めた。
年俸がウナギ昇りだった落合の時代から時は流れ、04年の球界再編騒動を経て、選手の年俸抑制に対するファンの理解も深まっていた。杉内が見せた姿勢は、チームの高年俸選手として、功労者やこれから伸びゆく若手選手を気づかったものではあったが、ファンの誤解を招いた部分もあった。
[杉内俊哉・チャート解説]
チームメイトに対する大義はあったが、球界全体を見回したとき時、100%同意を得られる主張とは言いがたい。
大義度は4。ソフトバンクの交渉にやや押された。巨人入りは果たし金銭的な損はこうむっていないが、
銭闘力は3。金銭にこだわる選手であるような印象が広まった。
インパクトは3。
そのほかの「印象に残る契約更改」を行った選手たち
1980年香川伸行(南海)
金額も見ずに判を押し「金が欲しゅうて野球やっとるんやない」と話した香川。
名将・鶴岡一人監督の「グラウンドには銭が埋まっとる」とは真逆のスタンスを貫いた。ただ引退後に挑んだビジネスはうまく行かず自己破産の憂き目に。
1981年江川卓(巨人)
プロ入り3年目にして20勝を挙げ投手のタイトルをほぼ総なめに。しかし年俸は1560万円から3000万円へのアップに留まる。「(自分への)世間のイメージが更改に影響している」とぼやく。
1992年高木豊(大洋)
150安打を放ち打率を.300に乗せた高木。9500万円から1億263万円へのアップを求めるも球団は9330万円のダウン提示。調停に持ち込まれ9840万円で決着した。しかし球団は翌年もフル出場を果たした高木をオフに解雇。
1998年前川勝彦(近鉄)
2年目のオフに大事な契約更改をすっぽかすというミス。「事務所の予定表が11月31日まで書いてあったから今日が12月1日だとは思わなかった」という球団のせいにする言い訳に更改担当が激怒。
2002年中村紀洋(近鉄)
FA権を得て臨んだオフ、「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」と考え決意した、在籍チームを軽視する発言。しかし、メジャー挑戦を画策するも実現せず、近鉄と4年20億円プラス出来高という高額契約を結んだ。その後も契約更改の席では必ず何か言う存在に。
2006年関本健太郎(当時)(阪神)
交渉時、阪神側の職員があくびをしたこと会見でコメント。金額的な不満もあり保留としたが、次回交渉は代理人と臨み1000万円増を勝ちとった。ただ、球団側は「あくびはしていない」と言い切ったため、マスコミに“チクった”関本は恐縮しきりだった。
2010年攝津正(ソフトバンク)
最優秀中継ぎ投手に2年続けて選ばれ、球団が出した1億円の提示を「3年やって一人前の世界。(1億円は)自分にはまだ早い」と独自の基準で断り9500万円でサイン。翌年は先発に転向して14勝。満を持して1億9000万円で大台突破。
2011年藤川球児(阪神)
4億円から2000万円増の提示を「過去3年間を自分で見ても十分に評価してもらっている。大丈夫というか、いりませんと話をしました」と言って断った。
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家族や親戚はもちろん、近所の知り合いや同級生、すべての人に今の稼ぎがわかってしまう――。プロ野球選手という「給料をどの程度もらっているのかが、日本中の人に知られてしまう仕事」の苦労は、体験してみなければわからないものだと思います。まじめな選手、しきたりや上下関係に敏感な選手は、そのあたりを考えて、不満があっても、もめるのを避けているケースも多いことでしょう。そうした中で落合や下柳といった面々が、ある意味で自身のイメージを犠牲に、突破口を切り拓いて行ったことの意義は大きいもののはずです。
そう考えると藤川や攝津が断り、それが美談としてとらえられるのは、価値観がかつてのものに戻っていっているような印象も受け、なんだか複雑な気もします。どんな仕事でも、評価に対し自らの意見をぶつける権利はあるはず。思いをぶつけただけで「お金に汚い」選手として見なされてしまうことがあるのは、やはりかわいそうな気がします。
選手に高年俸を支払った結果、球団が傾くようなことがあったとしても、それは経営側の責任です。選手は自らが感じた負荷や貢献をもとに公平な評価を求め、球団は冷静に受け入れられるかの可否を検討する。その結果が年俸であり、それ以上でもそれ以下でもないはず。納得いくまで交渉を求める選手が批判を受ける風潮だけは残念に感じます。これを改善するには、アメリカのように代理人制度がさらに活用され、エージェントが選手よりも前面にたつような形になることが効果的なのかもしれません。
※次回更新は12月25日(火)になります。