[小さな大投手]と野球殿堂 ・ 後編
サイドボードに置かれた野球殿堂入り記念のレリーフをはじめ、棚にはトロフィーや盾、壁には写真や表彰状――。
長谷川良平さんにお話をうかがったご自宅の応接間は、さながら博物館の様相を呈していました。
テーブルの上には分厚い本=『日本プロ野球60年史』と、ご本人自筆のノート。そのノートの表紙には<カープ他 体験談 心理 技術 フォーム他>と書いてある――。長谷川さんはこちらの取材意図を把握した上で、相応の準備をしてくれていたのです。
僕はこれまで50人近い野球人にインタビューしてきて、取材場所はたいていホテルのラウンジもしくは喫茶店でした。ご自宅を訪ねた方は10人ほどと少ないなか、玄関の前で待ってくれていたのは長谷川さんが初めて。記念の品々で埋め尽くされた応接間を見るのも初経験。恐縮する気持ちと、感激が入り混じった状態になりました。
もっとも、それ以上に心を動かされたのは、長谷川さんの第一声です。正直に言って、野球の歴史が充満した部屋の中で広島の初代エースを前にして、僕は何から話を切り出せばいいか、わからなくなりかけていました。そこでまずノートのことをうかがおうとすると、こう言われたのです。
「去年はとにかく、野球がこう、またバーっと出たような感じの1年だったですねぇ。ああいうふうに続けて、どんどんいろんなことが起きて、吹き出すいうのは、何年もなかったことですから」
この「去年」というのは、2004年。まさに「どんどんいろんなことが起きた」球界再編の動向を、長谷川さんなりに表現されたわけです。
前回も書きましたとおり、そもそも、長谷川さんに会いに行きたいと思ったきっかけが、球界再編によって誕生した新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスでした。
創立当時の楽天が「寄せ集め」と言われて弱小チームだったのと同様、1950年のセ・パ分裂時に誕生した新球団カープも戦力不足。そのなかでエースとして活躍した長谷川さんに話を聞きたい、と思って広島までやってきたところが、ご本人から先に球界再編の話が出るとは……。
さらに意外だったのは、長谷川さんがあくまでも、球界再編をプラスにとらえていたことです。
「ファンの人も何か、思うところがあったんでしょうねぇ。広島の人はもちろんですけどね、東京だの大阪だの九州だのからね、よう手紙が着いたんですわ。そこにボクが忘れたようなこともポッと書いてあってねぇ。ありがたかったなぁ。だから、改めて、感謝、感謝です」
そしてもうひとつ、野球殿堂入りのことも、若い頃のマウンドの思い出から、ごく自然に話がつながりまりました。
「周りに対して、チームの連中に対してもね、感謝、感謝になるのは、ボクは結構、遅かった。それでボクの場合、殿堂入りがびっくりしたことですからねぇ、正直言うて。普通の人のように、300なんて行かないまでも、200も勝ってない。負けのほうが多いし」
長谷川さんはそう言って、壁に掲げられた一枚の写真に視線を送りました。それは2001年1月、殿堂入り発表のときのもので、右に400勝投手の金田正一さん、左に320勝を挙げた
小山正明さん、真ん中に長谷川さん。[小さな大投手]の小ささが余計に際立っています。
▲野球殿堂入り発表のときの記念写真。長谷川さんはあえて大柄な二人に挟まれて写ることを望んだ。
小山さんはこの年、同時に殿堂入り。一方の金田さんは、前回も触れたとおり長谷川さんの殿堂入りを待望していただけに、発表の席に招かれたのでしょう。その経緯をうかがおうとすると、こんな言葉が発せられました。
「ボクはね、写真を撮るとき、わざと『こう並んでくれ』言うた。金田とか小山君とか、でかいじゃないですか。でかいからやって当たり前と思われる。そのぶん、損しとる。ボクは小さいから、『その体でようあれだけ投げたな』とか言われる。だから、この体ですごく得をしたんじゃと」
167センチの身長をいいほうにとらえる考え方。その後も、弱いカープだからこそ活躍できた、強い巨人に勝つとすごくうれしかった、マウンドでは何があっても自分の都合のいいように考えられていた、といった話が展開されていきました。
球界再編のとらえ方にしてもそう。一見、マイナスに感じられることをどんどんプラスに転換していた長谷川さん。よく「ピッチャーはマイナス思考が基本」といわれますが、カープはできあがったばかりの弱小チームゆえに、何事もプラス思考でいかないと、まともに働けなかったのではないでしょうか。
実際に「プラス思考」という言葉を使って尋ねてみると、こういう答えが帰って来ました。
「自分は欲が深いから。なんで打たれたんじゃろ、思うたら、寝られんときはなんぼでもあった。だから、自分のええほうに考えて。アウトコースならアウトコース、カーンと打たれる。それからまた、自分が思いもしないところへボールが行って打たれる。そういうときはもう、ど真ん中に投げたんだからしょうがねえわと。こう言ってたんよ、自分では。はっはっは」
プラス思考の背景には、負けに慣れて欲と活力を失ったチームメイトへの反発心もあったそうで、そこは一概に「プラス」とも言えないようです。
ただひとつ確かなのは、長谷川さんのように苦労した方も<永久に讃え、顕彰する>のであれば、野球殿堂は本当に存在意義があるということでしょう。
▲殿堂入り記念のレリーフ。同じものが野球体育博物館に飾られている。
最後に、長谷川さんからの、今のプロ野球選手たちに向けた遺言を記しておきます。「基本的にオフはなかった」現役時代、その理由を解く言葉です。
「なぜか言うたら、野球が好き、負けたくない。それとやっぱり、不安のかたまりですもん。その不安はね、自分の性格とつながってるんです。そういう大事なもんを押し切ったり、放ったりしたら、ええことは出てこんですよ。
自分の不安に対して正直に向き合う。そうすると、まずは去年やったことのいいとこを伸ばす、悪いことは探してから直す、という順番になると思うんですよ。でも、今の人たちは、ただ去年よかった成績を今年も、と考えるのが多いんじゃないかな。
去年は成績がよかった、だったら、今年は去年のおさらいをする1年であるべきじゃと思う」
(長谷川良平さんのインタビューは、
単行本『伝説のプロ野球選手に会いに行く 2』に収録されています)
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文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。今年1月29日発売『野球太郎 No.003』では中利夫氏(元中日)のインタビューを掲載する。ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント
@yasuyuki_taka