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file#014 押本健彦(投手・ヤクルト)の場合

◎球場で見たのはスポニチ大会の1度だけ

 あまり偉そうに言ってはいけないことだが、今回の主役・押本健彦(ヤクルト)のアマチュア時代を、私はたった一度しか見ていない。しかし、そのときのインパクトがあまりにも強烈だったので、ぜひこの場で紹介したいと思う。
 あれは2003年3月のスポニチ大会のことだった。スポニチ大会をご存じない人のために先に説明しておくと、シーズンの最初に神宮球場をメインに関東の球場で開催される社会人野球の公式大会である。高校野球の春のセンバツより先に開催されることから、社会人というよりアマチュア野球のシーズン開幕戦という“お正月”的な位置づけがなされている。
 この大会で選手を見る一番のテーマは、「社会人の新しい注目選手を見つける」ことだ。入社したばかりの新人が社会人の世界でどの程度通用するかをチェックするのもさることながら、前年まで無名だった選手がひと冬を越えて目に見えるほど急成長している姿にいい意味で驚かされるのも、この大会の醍醐味のひとつである。
 押本はまさに後者を実感させてくれた典型的なケースと言えるだろう。中央学院大付属高校出身の押本は、千葉県内では3年春に優勝するなど、それなりの実績を残しているが、全国的には知られておらず、日産自動車でも前年ようやく頭角を現したばかり。チーム内では期待の成長株だったものの、この大会まではそれほど注目はされていない存在であった。



◎今を彷彿させる低めへの重いストレート

 と、いう前置きを経て、日産自動車で3年目を迎えていた押本はこの日、神宮球場での対松下電器(現パナソニック)戦に先発した。
 プレイボール早々の投げっぷりを見て、ストレートに力があるのはすぐにわかった。今回、初回を三者凡退に打ち取ったシーンの動画も入れておく。元映像の状態が悪く、画像がやや乱れていて恐縮だが、今を彷彿させる力のあるストレートであることは実感してもらえるだろう。この回の球速は最速で145キロを記録していたが、数字以上の「重さ」があり、それがことごとく低めを突いていた。



 この「めったに高めにいかない低めへの威力あるストレート」は、今でも押本の専売特許である。藤川球児(カブス)や平野佳寿(オリックス)のような派手さは無いが、プロとして長年生き残れている大きな武器だ。この日はその重さに加えて、ボールが伸びており、春先で打者の目が慣れていないことを差し引いても際立っていた。

◎伝説の延長19回1対0のサヨナラゲームで15回を零封

 ただ、この日はライト側からの強烈な寒風が吹き荒れるコンディションということもあり、とにかく寒かった。そのせいなのか、社会人特有の貧打が顔を出したためなのかについては言及しないが、両チームの打線はともに振るわず。松下電器先発の左サイドスロー・田中稔士と押本による淡々とした投手戦が進んでいく。
 押本は中盤、やや低めへの制球が乱れて、ボールがうわずった場面もあったが、それ以降はまったく打たれる気配がない。一方で、松下電器は7回裏に2死満塁のピンチを迎えると、ピッチャーは好投の田中からエース・丸尾英司(元近鉄ほか)にスイッチ。プロでは特筆した実績は残せなかった丸尾だが、2001年に松下電器に入社すると、持ち前の闘志あふれるピッチングスタイルで瞬く間に社会人を代表する投手になっていた。このピンチもファーストフライで切り抜けると、以後は「っオーリャッ!!」という雄叫びが神宮にこだまするほどの気合の入った投球を披露。日産自動車も点が入りそうになかった。

 この試合は第3試合ということもあり、試合開始当初は真昼間だった晴天の空も、回が進むにつれてどんどん暗くなり、ついには照明が点灯し始めた。折からの強風はやや落ち着きだしたものの、相変わらず猛烈に吹くときがあり、体感気温はさらに下がっていく。もちろん、その頃にはプロのスカウトはとっくの昔に席を立っていたし、当時仲良くしていたスカウト的見方を心情とする若いライターも早々に引き上げていた。
 だが、貧乏性の私は試合途中で席を外すことができない。結局、タイミングを逸した形でずっと席に残っていた。当時は現地で観戦するときは必ずストップウオッチを片手に一塁ベースへのかけ抜けや打球の滞空時間を測っていたが、この頃になると寒さのあまり手がかじかんでそのボタンを押すのもつらく、手持ちの自作スコアブックに書き込む字も震えで波を打つようになってきた。以前所属していた雑誌の編集部員だったK山氏が一緒に残ってくれたが、元々寒がりなK山氏も隣で目に見えるくらいガタガタと震えていた。
 そんな状況下ではあったが、グラウンドは相変わらず熱い投手戦が繰り広げられ、試合はついに延長戦に突入した。
 いや…、とらえ方によっては「寒い貧打戦」と言っていいかもしれない。とはいえ、押本は中盤以降、相変わらず淡々と投げている。6回以降、外野に飛んだヒットはたったの1本。あとはエラーとバントヒットの出塁のみだった。13回になって再び押さえがきかない投球が何球が出始めたが、結局、15回まで見事零封。0対0を保ったまま左腕の中村将明に後を託している。試合中盤に一度うわずったストレートだったが、その後は再び低めに安定して投じられ、その威力もまったく落ちないままだった。まさに、驚異的なスタミナである。



◎いつまでも変わらぬ重いストレートを維持して欲しい

 この2003年の秋に日本ハムからドラフト4位で指名されて入団した押本の活躍については、言わずもがなであろう。特に08年にヤクルトへ移籍してからは、すべてのシーズンで50試合以上、しかも09年以外は60試合以上登板するタフなリリーバーとしてチームを支えている。
 彼がマウンドに上がる姿を見るたびに、私は今でもスポニチ大会で延々と投げ続けるあの姿を思い出す。素晴らしかったパワーストレート。それはプロでさらに開花し、今も押本の絶対的な命綱だ。
 そんな押本も昨年30歳となった。力勝負を身上とする投手にとっては、これからは年をおうごとに年齢と向き合って行かねばならなくなるだろう。しかし、ぜひともユニホームを脱ぐ最後の時までストレートにこだわった投手であり続けて欲しい。選手生命においても、類まれなスタミナを発揮してくれることを節に願っている。



◎そして、試合の決着は?

 ちなみに、日産自動車と松下電器の試合の行方は?
 というと、押本に代わった中村が好投する一方、松下電器の丸尾も毎回走者を出しながらピンチになると気合の三振奪取でしのぎ続け、前代未聞の19回に突入した。
 実は18回裏が終了する時点で、すでに数えるほどしかいなかったスタンドの観客からは「高校野球のように18回で終了か?」という希望的推測によるどよめきがあったのだが、チェンジになると日産の選手たちが何事もなかったかのようにフィールドに散り、絶望感一杯のため息が球場全体に発したことを覚えている。その光景を見て、私は「自分は今、すごいところにいる」と興奮しながらも、あまりの寒さと疲労感により「本当に試合が終わらないのでは?」と本気で体が心配になっていた。いや、帰りたきゃあ帰ればいい話なのだが、ここまできたらもう最後まで見届けるしかなかった。
 結局、19回裏1死から8番・青柳大輔がこの試合唯一の長打となる三塁打を放つと、2死から2番・村上の放った一・二塁間のゴロが渋く間を抜け、日産自動車が5時間を超える熱戦に勝利を収めている。
 1死三塁という絶好のチャンスを作ったにも関わらず、次打者・中原慎一のカウント1-1からのスクイズはファウルとなり、さらに次の投球で強行した三塁線への鋭い打球もファウルとなってあえなく空振り三振に倒れた時点で、さすがに野球の神様もツラくなってきたのではなかろうか? 村上のゴロが抜けたときには、おそらく100人といなかったはずの観客の声が悲鳴混じりに大きく響き、一呼吸置いて、激戦を称える拍手が長い間続いていた。
 いやはや、観客のスタミナもの大したものである。そんなオチで、この記事をシメさせていただこう。

※次回更新は1月15日(火)になります。


文=キビタキビオ/野球のプレーをストップウオッチで測る記事を野球雑誌にて連載つつ編集担当としても活躍。2012年4月からはフリーランスに。現在は『野球太郎』を軸足に活躍中。

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