1956(31)年といえば、また戦後10年程度。まだまだ海外旅行が一般的ではない時代に、前年優勝のごほうびの意味も兼ねて、南海は球団初の海外遠征となるハワイキャンプを敢行。2月2〜27日の26日間の日程を終え、この日に帰国した。このとき、監督の鶴岡一人に見出され、この遠征の一員として参加したのがまだ3年目の野村克也だった。このキャンプをステップとして大捕手、大打者への階段を上っていったのである。