前年までの7チームでは試合消化効率がよくないということで、勝率3割を切ったチームは解散という取り決めで1952(昭和27)年を戦ったセ・リーグ。その結果、勝率2割8分8厘で最下位に終わった松竹が候補となる。その松竹を大洋が吸収するような形での合併が正式決定し、新たに大洋松竹ロビンスとなったのが翌1953(昭和28)年の1月10日のことだった。