いま、注目すべき選手は誰か?〜阿部選手はファーストになれば負担も減る?そんな簡単ではないと思いますね
元中日ドラゴンズの立浪和義です。今回から『週刊野球太郎』読者の皆さんへ向けて、今のプロ野球で気になる選手やチームについて、僕なりの視点から紹介していきたいと思います。
【セ・リーグの打撃成績を見て思うこと】
両リーグの打撃10傑の名前(※取材日の5月28日現在)を見ていくと、セで注目すべきは広島のエルドレッド選手ですね。
去年まではドアスイングで、さらに力任せのアッパースイング。正直、三振かたまに当たるかという感じでしたけど、今季はバッティングが変わりましたね。体からバットが離れなくなったし、インコースにもグリップが近くを通るようになった。開幕当初は6番でしたが、エルドレッドが4番に座るようになって、打線に軸ができましたよね。
広島はもともと投手力のあるチームだし、丸佳浩選手や菊池涼介選手といった足の速い選手がいるので、軸がしっかりすれば今の順位も納得です。
その他の選手では……シーズン通しての本命は中日のルナ選手だと思います。ヒットを打つことに関しては、もう群を抜いています。インサイドアウトのスイングができているので、臭いボールなら多少振り遅れてもファウルにできるし、ヒッティングポイントも多い。グラウンドを90度使って打てますよね。
ただ、ルナ選手は去年もシーズン通しては出ていないので、これから夏場以降どうなるか、というのが課題ですね。
【パ・リーグの打撃成績を見て思うこと】
パ・リーグの打撃十傑を見ていくと、3割バッターが5人(6月9日時点では8人)しかいないのが意外です。ソフトバンクの柳田悠岐選手など新しい名前も出てきていますけど、本命はやっぱり長谷川勇也選手、内川聖一選手のソフトバンクコンビでしょう。オリックスの糸井嘉男選手も今は調子いいですけど、波がありますからね。内川、李大浩、長谷川が並ぶソフトバンクのクリーンナップは穴がなく、最高の3人が揃っていると思います。
去年、WBC日本代表で打撃コーチを務めさせていただいたこともあって、12球団をより広く見るようになりました。一緒に戦った選手たちの成績も気になってずっと追いかけていましたし、シーズン中にバッティングの話をした選手もいましたね。
その中でも、いま一番充実しているのが内川選手だと思います。内川選手は、真っすぐを逆方向に意識することでいろんなボールに対応できるバッターです。
内川選手のように逆方向に打てる人っていうのは、ボールを長く呼び込むことができるので、変化球のボール球を振る確率も減りますよね。WBCのように一発勝負で、データのない投手と対戦する場合などは、内川選手のようなバッターが活躍するんだと思います。(この取材の後、右臀部肉離れが悪化したことで登録抹消)
【阿部慎之助の不調の原因】
ただ逆方向に打つということは、裏を返せば押っつけて打つことになるために長打になりにくい、という側面もあります。だから、打率も残せてホームランも30本打てる、もしくは逆方向に狙ってホームランが打てる、なんていうのが本当のスーパースターですよね。
そんな選手はなかなかいないわけですけど、今の球界であればいい時の阿部慎之助選手(巨人)がそんなことができるバッターです。ただ、今季は苦しんでいますね。
今年の阿部選手はなぜ不調なのか? と聞かれることがよくあります。バッターは、どんなにいい成績残したとしても、次の年には「さらにもっと」とグリップの位置を変えたり、足の位置を変えたりという風に、常に研究しながらシーズンを戦う向上心を持っているものです。ただ、それが意識過剰になってしまって、結果的に悪い方向に行く場合もあります。
そこで一回リセットして、自分のフォームをもう一度見直せた人が「2000本」に届くんじゃないですかね。それが、1700、1800で終わる人と2000本安打を達成する人の違いなんだと思います。
もちろん、年齢的な影響もあるかもしれない。結果が出ない時、若い頃のよかった時のフォームを見直したりすると思うんですけど、若い頃のフォームに戻そうって思っても、戻らないんですね。戻れば簡単な話なんですけど、体の状態なんかは年齢を重ねると、どうしても変化しますから。そこで生まれるいろんなギャップをどう調整して、今の自分にとってベストなフォームを見つけることができるかどうかだと思います。
阿部選手のポジションがファーストになれば負担も減るのでは? という声もよく聞きますね。でも、元々キャッチャーであれだけ打てる、というのは相当の技術があるからこそ。仮に今、ファーストになったとして、気分的には楽になるかもしれないですけど、バッティングが急によくなるか、といえばそんな簡単なことでもないと思いますね。
立浪和義(たつなみ・かずよし)
1969(昭和44)年8月19日生まれ、大阪府摂津市出身。PL学園高〜中日。PL学園高では1年秋からショートのレギュラーを獲得。3年時は主将として甲子園春夏連覇を果たした。中日からドラフト1位指名を受け、1988年に入団。1年目の開幕戦に、高卒ルーキーながら2番・遊撃手で先発出場した。同年に新人王と高卒ルーキー初のゴールデングラブ賞を受賞。さまざまな打順、守備位置を経験し、2003年に2000本安打を達成。2009年に引退するまで、生涯中日を貫いた。通算487二塁打はNPB記録で、プロ生活初安打も、最後の安打も二塁打だった。引退後は解説者を務めるとともに、2012年秋から2013年春のWBCまで日本代表の打撃コーチを務めた。