低迷からの脱却を目指し、巨人の二軍監督だった千葉茂を指揮官として招へいした近鉄。それにあわせて球団の愛称も公募、最も多かった「バッファロー」に決定したのが1959(昭和34)年の1月9日である。これは、千葉茂新監督自身のニックネームでもあった。しかし、意欲も実らずそこから3年連続最下位。千葉監督は退陣を余儀なくされ、その翌年から複数形の「バファローズ」へとさらにマイナーチェンジされたのであった。