「おいおい、そんなんだからいつまでもここ(鎌ケ谷)にいるんだよぅ!」
あれは今から6〜7年前、近所の鎌ケ谷スタジアムでイースタン・リーグを観戦していた時のことだ。知る人ぞ知る、鎌ケ谷名物の“痛烈”なヤジの集中砲火を浴びていたのが、当時登録名・陽仲壽(よう・ちょんそ)、現在の陽岱鋼だった。
当時は暇があれば「鎌ケ谷通い」をしていた自分にとって、陽は思い入れのある選手の一人。ここでは書けないような酷いヤジを浴びると、ふて腐れたような態度を見せていたことは、今となっては懐かしい思い出である。
プロ1年目の2006年のシーズンは陽にとって2軍が主戦場だった。打撃面ではチーム最多の9本塁打を放つなど、高卒ルーキーらしからぬ非凡なところを見せてくれたが、守備面ではリーグ最多の30失策を記録。プロ入り3年目くらいまでは1軍に抜擢されるもなかなか定着できず、2軍との往復生活が続いていた。
冒頭のヤジも、ファームの試合中に何度かエラーを犯した場面での出来事だ。当時、幾度となく鎌ケ谷で観戦していた自分にとって、陽の内野守備には“雑”な印象がいつも拭いきれなかった。ちょうどその頃、1軍で活躍し始めた田中賢介(SFジャイアンツ)と比べると特に違いが判りやすく、陽自身が持つ類いまれな身体能力の高さゆえに“楽をして”プレーしているように見えてしまう場面が多々あった。
ところが「今」はどうだろう。2009年に外野にコンバートされると、その才能が一気に開花。翌2010年シーズンには109試合に出場し、さらに2011年には完全に外野手としてレギュラーに定着。そして昨年はパ・リーグ全選手のなかで唯一、全試合フルイニング出場を果たすなど、まさに伸び盛りの「いま見ないと絶対に後悔する!」選手に成長した。
今シーズンも6月中旬に38試合連続出塁を記録するなど、低迷するチームの牽引車として孤軍奮闘している。三振を恐れず積極的にスイングする攻撃的なバッティングスタイル、今シーズン何度も味方を救った俊足を生かした広い守備範囲、「強肩発動」する外野からのレーザービーム…と、走攻守に渡ってセールスポイントを持つ陽。