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大学時代に50メートルが5秒8から5秒5になりました。あまりの速さに自分でも走りながら笑っちゃうくらい。

◆不利とは思ったが諦めようとは思わなかった

――高校に入り「体が小さいことって野球をやる上で不利なんだ」と実感してからの赤星さんの行動や考え方に興味があります。

赤星 悲観的になって落ち込んでいてもなにも始まらないので、「トレーニングで体を大きくしよう!」と考えるようにしました。中学のときは時期的にまだ早いと思い、重りを利用したウエートトレーニングは一切やらなかったのですが、高校ではしっかりと取り組んで体を大きくして、少しでも体の大きな選手との差を埋めようと。

――高校入学した時に167センチ60キロだったのが、高校卒業時にはどのくらい変わったのですか?

赤星 169センチで63キロだったのでサイズ的には大きく変わってないんですよね。

――でもショートのレギュラーとして甲子園にも2度出場し、当時から脚力は秀でていた。体が小柄な部類だとしても「それがどうした! 小さくたっておれはやれる!」という気持ちがあったのではないですか。

赤星 いちおうドラフト候補のような形で本に名前が載ったりしていたので、それなりの自信は自分の中では芽生えていましたよ。

――「もしかしたら、おれは高卒でプロにいけるかもしれない」くらいの。

赤星 ええ。でも、プロのスカウトの評価を高校の監督を通じて知ったんですよ。

――どんな評価ですか?

赤星 「体が小さい。今の体格ではプロは厳しい」と。

――小さいというのは、身長のことをさしているのですか。それとも華奢だということが言いたかったのでしょうか?

赤星 両方でしょうね。細い、華奢、軽い。その上、身長の低さもネックだと言っていたそうですから。

――それを知ってどう思われたのですか? 「くそー!」という悔しい思いが湧きあがったのでしょうか?

赤星 悔しい気持ちはなかったです。高校野球をやる中でも力負けをしていると感じることはしょっちゅうでしたし、「スカウトのおっしゃる通りだな」と素直に受け止めていましたよ。やはり上のレベルで活躍できる選手になるためには、とにかく体を一回りも二回りも大きくする必要が間違いなくあるなと。身長は大幅に伸びることはないかもしれないけど、せめて体格はしっかり向上させなければ絶対にプロなんか無理だと。

――「小さくたってやれる自信はあるのに!」とは思わなかったですか?

赤星 到底思えなかったです。それにこの頃は170センチあるかないかの身長で活躍してるプロの選手って少なかったんですよ。阪急の福本豊さんであったり、ヤクルトの若松勉さんであったり、何人かはいましたけど、今よりは少なかった。「プロの世界に足を踏みいれるには小さいことは不利なんだなぁ」と思ってましたね、今にして思えば。

――「不利」と思っただけであきらめではなかったんですね。

赤星 そうです。「体を大きくする」「経験を積む」といった部分で「高校卒業時とは違う評価を4年後に得てやろう」、そんな気持ちでしたね。



◆大学で遂げた走攻守にわたるレベルアップ

――大府高校卒業後は亜細亜大学に進学しました。大学では当初の目標通り、体格を向上することができたのでしょうか?

赤星 数字が大幅に向上することはなかったですね。4年生で170センチ65キロでしたから。練習量がとにかく多くてきつい野球部だったので、体重はむしろ減ってしまうときがあったくらい。でも、ウエートトレーニングはかなりやりましたし、亜細亜大学はトレーニングの方法もかなり先進的だったので、身長と体重の数字に大きな変化はなくても、筋肉量は高校の時と比べるとけっこう増えていたと思います。きつい練習を日々繰り返すうち、もともと速かった足がさらに速くなりましたから。

――そうなんですか!? 50メートルでいえばどの程度速くなったのですか!?

赤星 5秒8だったのが5秒5になりました。

――5秒5……!?

赤星 100メートルは10秒台でしたし、陸上のスパイクを履けば10秒台前半が出るんじゃないか、なんて言われてました。あまりの速さに自分でも走りながら笑っちゃうくらい。大学の時に自分より速い選手は周りには誰一人いなかったですね。

――じゃあ盗塁を試みてアウトになることはほぼなかった感じですか?

赤星 ほぼなかったですね。亜細亜大学が走塁に対してものすごく貪欲で研究熱心なチームだったことも大きかったですね。高校までは自分の脚力と感性だけで勝負していたけど、投手のクセを盗む技術なども大学で身につけられた。自分は「相手に警戒された場面でも必ず盗塁を成功させられる選手。走塁というジャンルにおいては絶対に誰にも負けない。今すぐプロに入ってもトップレベルでやっていける」という自信を持っていましたね。

――大学2年の時に内野から外野へ転向したんですよね。

赤星 そうです。このコンバートも監督が「プロのことを考えた場合、赤星は内野よりも外野の方が絶対に生きる」という判断でおこなわれました。外野手としての日が浅いので、プロで通用する守備とまでは思えなかったですが、きちんとこなす自信はありました。

――バッティングの方はどうだったのですか?

赤星 入学当初は木のバットに苦しんだのですが、4年生の時にはホームランも打てるようになった。4年秋のシーズンには東都大学リーグの記録となる3試合連続ホームランを打つことができたくらいです。

――体格に劇的な変化はなくても、赤星さんの中では走攻守ともにレベルアップを果たしているという確信があったわけですね。

赤星 そうなんです。1年生の時からずっと試合に出してもらいながら、結果も残せたし、チームも日本一になることができましたからね。

――4年前の高校生の時の自分とは違う。今度こそプロからの指名があるはずだと。

赤星 でも、結局指名はなかったんですよね……。


(次回へ続く)


赤星憲広(あかほし・のりひろ)


1976(昭和51)年4月10日生まれ、愛知県刈谷市出身。大府高〜亜細亜大〜JR東日本〜阪神タイガース。大府高では内野手として活躍。1993年、1994年と2年連続でセンバツに出場する。亜細亜大2年春のシーズンから外野手に転向。1部通算45盗塁はリーグ歴代3位の記録を残す。JR東日本に入社後、シドニー五輪強化指定選手に選ばれ、プロのキャンプに参加した。阪神のキャンプに参加した際に、当時の監督・野村克也氏の目に留まった。2000年のシドニー五輪代表に選ばれる。同年のドラフト会議で阪神から4位指名を受け、入団した。その後、阪神黄金期の主軸選手として活躍し、2003年、2005年のリーグ優勝に大きく貢献。ダイビングキャッチを試みた際に、選手生命を脅かす首のケガを負い、2009年オフに現役を引退。現在は解説などで活躍中。

また、2004年の球界再編問題を機に、中学生を対象とした野球チーム「レッドスターベースボールクラブ」を設立した。野球がうまくなるような手厚い指導をしていくことはもちろん、子どもたちに野球が出来る環境、野球を通した人間的成長、そして子どもたちに夢を与えていく、といったことを目指している。

この「レッドスターベースボールクラブ」では、例年1月中旬に新入団選手のトライアウトを行っている。11月初旬からトライアウトの募集を開始する予定。

応募資格は
・活動拠点(大阪市内より1時間圏内)の活動に週1日以上参加可能であること
・平成26年4月に中学生1年生になる健全な男子

興味のある方は、ホームページ(http://www.redstar53.com/rsbbc/)をご覧ください。

各種お問い合わせ先は、

特定非営利活動法人 レッドスターベースボールクラブ事務局(株式会社オフィスS.I.C)
担当:泊、杉山

〒659-0065 芦屋市公光町10-10 B.Block N-3
TEL 0797-23-7177(平日10:00〜18:00)
FAX 0797-23-7178

E-Mail:npo@rsbbc.com

■ライター・プロフィール
服部健太郎(はっとり・けんたろう)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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