甲子園一番乗りの沖縄尚学・比嘉監督「沖縄野球」引き継ぐ若き闘将
4季連続の甲子園出場となった沖縄尚学。強豪揃いの沖縄県勢のなかで、いまや沖縄のトップに君臨するチームといってよいだろう。今回は若干33歳でこの沖縄尚学を率いる、比嘉公也監督にクローズアップしよう。
◎自らセンバツで優勝投手に!
ご存じの方も多いだろう。比嘉監督は1999年の第71回選抜高校野球大会では沖縄尚学の背番号1を背負い、沖縄県勢初の全国制覇を成し遂げた原動力となった。当時の金城孝夫監督の元で野球を学んだ“比嘉投手”の活躍で印象深いのは、準決勝で激突したPL学園戦だろう。優勝候補とがっぷり四つに組んだ試合は5−5のまま試合は延長戦に突入。12回表に決勝打を放った比嘉は、投げては212球で完投勝利を収め、8−6で沖縄尚学が勝利。センバツ史に残る好試合であった。
高校卒業後は愛知学院大に進学した比嘉。当然、野球部に所属していた。しかし3年時に故障して現役でプレーを続けることを断念。大学での公式戦登板は1試合のみに終わったという。
「野球を嫌いになれない。どんな形でもいいから携わりたかった」
自ら手を挙げて学生コーチになった比嘉は、そこでやりがいを見いだし、指導者を志した。4年生の夏、母校の臨時コーチとして甲子園に同行してノックを任された。この経験が、高校の監督を目指す原点になったのだった。
◎指導者への道が運命によって切り開かれる
大学卒業後時には高校の公民の免許を取得していた比嘉は、さらに地理や歴史の教員免許を取るため、沖縄大に通った。2006年春、その時に運命が訪れた。沖縄大に隣接する母校・沖縄尚学の野球部副部長への要請があった。さらに6月、当時の監督が野球部から離れることになり、若手ながらOBで全国制覇の経験がある比嘉に監督就任が打診されたのだった。
若干25歳で念願の高校野球指導者の職についた比嘉。それからわずか2年後の秋には沖縄県大会を制し、九州大会で準優勝。そして2008年のセンバツではご存じの通り、東浜巨(現ソフトバンク)らを擁して全国制覇。比嘉自身が現役時代に達成した快挙を、今度は監督として成し遂げたのだった。
◎師匠との繋がり
比嘉監督の師匠ともいえるのが、自身が現役時代の監督でもあった金城孝夫氏だ。現在は長崎日大で監督を務めており、同校の野球部監督に就任した1年目の2007年夏には、甲子園ベスト4まで勝ち進んでいる。さらに昨季ドラフトで広島に入団した大瀬良大地を育てた名伯楽でもある。
さらに遡ると、その金城監督の恩師ともいえるのが、故・栽弘義氏である。豊見城、沖縄水産を甲子園に導き、全国の高校野球ファンの注目を集めた。沖縄の監督で甲子園勝利数1位はもちろん栽監督であり、甲子園優勝は果たせなかったものの、1990年、1991年に記録した2年連続夏の甲子園準優勝という実績は色褪せることはないだろう。
裁監督が沖縄の高校野球界の礎を作り、愛弟子の金城監督がセンバツで沖縄勢初の全国制覇を成し遂げることで一花咲かせ、そして、いまは若き指導者・比嘉公也監督に引き継がれ、4季連続甲子園出場という実がなった。今後、この実はどんな熟し方をしていくのだろうか、非常に楽しみだ。
(2014年7月25日/スポニチアネックス配信)