気になる高校野球マル秘話 〜甲子園優勝旗のお値段は?〜
「高校野球100年」の節目の大会として注目を集めた今大会も、いよいよクライマックスが近くなってきた。ここまで勝ち上がったチームにとって、優勝はもう目の前だ。「果たして深紅の優勝旗はどの学校に……」とはよく耳にするフレーズだが、その優勝旗とは一体どんなものだろうか? 知っているようで知らない優勝旗の秘密を掘り下げてみよう。
【金はいくら掛かっても構わん! 鶴のひと声で日本一の優勝旗制作がスタート】
時は100年前の1915年に遡る。記念すべき第1回大会が開催される前に優勝旗が作られることになり、主催者である朝日新聞社・村山龍平社長(当時)が「日本一大きくて立派な優勝旗を作れ! 金はいくら掛かっても構わぬ」と言い放った、と伝えられている。高島屋呉服店(現在の高島屋)に発注して京都の西陣織の名工たちが集結し、約1カ月半かけて深紅の大優勝旗の制作がスタートした。
【あまりに豪華すぎて人に言えなかった……優勝旗の秘密の生地】
村山社長の大号令のもと、ついに縦105センチ×横165センチの大きな優勝旗が完成。黒みをおびた深紅の皇国織とよばれる技法で編み出された大変立派な旗が出来上がったが、ここで問題が発生した。“皇国織”とは当時の天皇陛下の象徴として使用される天皇旗と同じ織り方で、当時は皇室と同じモノを一般人が作るなど“言語道断”の時代。野球大会の優勝旗が「錦の御旗」と同じ生地ということが知れ渡ったら大問題に発展すると関係者は恐れ、このことは秘密にされたのだった。
【驚愕の大優勝旗! そのお値段は……ハウマッチ?】
そんな大優勝旗だから値段もハンパではなかった。大会経費のなかで一番高く、当時の金額で1,500円だったという。この次に経費が掛かったのが参加10校、150人の出場選手の旅費で総額750円。ちょうどこの倍の金額が優勝旗にあてられたわけだ。
ちなみに当時の1,500円は立派な一軒家が建てられる金額。旗ひとつ=家一棟、という点だけでも、いかに高価な代物だったかがわかるはずだ。第1回大会以降はこの優勝旗が優勝校に持ち回りで贈られることになった。
【優勝旗を手にすることができなかった学校は?】
優勝旗とは別に贈られた賞品も面白い。朝日新聞社は優勝旗の他、優勝校の選手には銀製の優勝メダルを1個ずつ、全参加選手に銅製の参加章を贈った。しかし、ここで外野からクレームが入る。
「遠方からきた選手にメダル1個じゃ気の毒だ」
「優勝チームには賞品を出して名誉を飾ってやれ」
こうしたクレームに加えて、実際に賞品贈呈を申し出る会社や商店が現れたという。
結局、1回戦を勝ち上がった学校の選手たちには万年筆が1本ずつ、第1回大会優勝校の京都二中にはスタンダードの大辞典が1冊と50円の図書券、腕時計が贈られ、準優勝の秋田中の選手には英和中辞林が1冊ずつ贈呈された。
しかしながら、翌年の第2回大会からは「真の学生スポーツ大会という観点から」という理由で、優勝旗と優勝メダル、参加章の他は、大会前夜に行われた“選手茶話会”で出す大阪名物“栗おこし”というお菓子をひとり1カンずつ、お土産として贈るだけにとどめたという