イスラ・ペロータ(野球の島)へ
ついにやってきました、キューバ。言わずと知れた、「アマチュアナンバーワン」の野球大国。町中のカフェでは、テレビの野球中継が流れ、夜行列車の中でも、人々はワンセグ(インターネットの発達していないキューバでは地元民のほとんどはスマートフォンを持たない)をナイター中継に合わせて、小さな画面に映るプレーに一喜一憂している。
国内15の行政区と首都ハバナのチームが、毎年10月から4月まで覇を競う「セリエ・ナシオナル」は、90試合のレギュラーシーズン(ただし前期シーズン終了時点で下位8チームは後期シーズンに進めない)と2段階のプレーオフを行う。このリーグは、もはやアマチュアの域を超えているといっていいだろう。
プロ6球団のドミニカ共和国とほぼ同じ1100万の人口に、16チームというのは少々多すぎる感があるものの、国内のリーグのレベルは、少々乱暴に言わせてもらえば、アメリカで言えば2A。アジアで言えばNPBの1軍にはかなわないものの、韓国リーグに匹敵するくらいのレベルだ。人々の朝は、前日の試合の寸評に始まり、夜に町を歩けば、至る所から野球中継のアナウンスとスタンドで鳴らされる楽器の音が聞こえてくる。
日本から来たと言えば、「マツサカ、スズキ」の名前が口をついて出てくるとともに、「ユリエキ、デスパイネ、セペダ」と彼らが「輸出」した選手の名が語られる。その時のキューバ人の顔は誇りにあふれている。ちなみに、「ユリエキ」とは、グリエルのことであり、キューバ人曰く、「キューバナンバーワン」の選手だそうだ。キューバに行っていた時期に日本では「グリエルが来日を渋る」といったことが報道されていたそうだが、その騒動のことは現地では報じられていなかった。
キューバでは、野球ことを「ペロータ」と呼ぶ。彼らにとってこの国民的スポーツはアメリカ生まれのものではなく、古代アメリカ文明時代の伝統ゲーム「バトス」に由来するキューバ人のスポーツなのである。
港町・マタンサス(3月25日)
ハバナの町外れにある小さな駅から骨董品のような古い電車に乗って3時間。港町・マタンサスはキューバで古くから野球が行われていた町の一つだ。アメリカ帰りの留学生によってもたらされた野球は、味方の攻撃時には日陰で休めるということから、日差しの強いこの島で瞬く間に人々に受け入れられた。この町でも野球はすぐに人気スポーツとなり、長いクラブチームの歴史を持っている。マタンサスのチームは、ここ近年は低迷を続けているが、革命前のキューバプロリーグ以来、今に至るまで名門であり続けている。昨年まで日本ハムにいたミッチェル・アブレイユもこのチームに所属していた。
駅を降りて、すぐに目に入ったのは、家屋のてっぺんに描かれたバットを抱えたワニの絵。この町のチームのニックネーム・ココドゥリロス(クロコダイルズ)のロゴマークは、街中だけではなく、州内の至る所で見られる。プレーオフ進出を果たし、ながらく遠い夢だったキューバチャンピオン目指して盛り上がっているのが、ぶらついているだけで伝わってくる。