3人の息子が全員Jリーガーとして活躍する高木豊(元大洋ほか)に「プロ野球選手の育て方」を聞く!?
◆サッカー選手を育てた父に「野球選手の育て方」を聞く
1980年代を中心に大洋・横浜の内野手として活躍した高木豊氏。加藤博一、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」の一員として一世を風靡した快足で、1984年に盗塁王を獲得。打率3割以上のシーズンが8度、遊撃手、二塁手としても毎年高い守備率を誇ったハイスペックな選手だった。
そんな名手だった高木氏だが、長男・俊幸(浦和レッズ)、次男・善朗(清水エスパルス)、三男・大輔(東京ヴェルディ)と、3人の息子たちは、みなJリーガーである。全員がユース時代から年代別日本代表に選ばれるなど、早いうちから注目され、現在も活躍中だ。
現在では“サッカー選手の父”として、息子をプロ選手にするための教育論を問われるインタビューを受けることはある高木氏だが、本業の野球選手についての育て方についてはどうだろうか?
実際にはプロ野球選手を育てたわけではないミスマッチだが、あえて聞くことで共通する秘訣を得られるかもしれない。恐る恐る取材の申請をしてインタビューすることになった。
◆いつでもボールに触れさせることから始まった
「要は子育て論でしょ?」
さすが現役時代から足の速さだけでなく、頭の回転も速いことで知られていた高木さん。ホッ。早々に取材の主旨を理解してくれて助かった。読者の皆さんには残念だけど、お門違いとみなされて憤慨されるような修羅場は発生しなかった。そうです、おっしゃるとおり。まずは高木3兄弟をどのようにして育てたのかをざっと振り返ってもらうことからインタビューを始めた。そもそも、なぜサッカーになったのか?
「何のスポーツをさせるかということは問題ではなかったですね。ただ、環境を与えてあげることは大切だとは考えていましたね」
高木さんの与えた環境というのは、“常にボールに触れられる”状態からだった。家の中にはサッカーや野球などの様々な大きさのボールを部屋の中に転がしたままにしておき、子どもたちに自由に使わせるようにした。自然とボールと戯れるようにしていたのだ。その動きを見て、何かしらのスポーツをするのは間違いないと確信したという。
「3人とも、まずは体を動かすのが好きだったですよ。それにともなって、そういう遊びをしてあげるとしつこかったですからね。本を読んであげるとか、そういうのは飽きちゃう(笑)」
そんな環境から、息子たちは自然に「ボールが友だち」になっていった。
◆きっかけは近所のサッカーチームに入れて活躍したこと
その後、幼稚園児となった息子たちに、サッカーをさせる機会が訪れた。そのきっかけは何だったのだろうか?
「俊幸と善朗は年子だったので、(体を)持て余していたんですよね。それで何か始められないかということで」
たまたま近所に少年サッカーチームがあり、また、そのチームが強いチームで幼稚園の子どもも受け入れていた。とりあえず、走るスポーツをやらせておけば……という想いでチームに入れたのだ。
ところが、やらせてみればやはりサラブレッド。父の俊足を受け継いだ息子たちは、ボールが転がると誰よりも早くたどり着いた。
「ついには家にあった野球のボールまで蹴りだしましたから。これはもう無理だなと思って(笑)。子どもって楽しい分野に進んでいきますよね」
それでも、長男の俊幸は小学1年の時に野球にチャレンジしたことがあったが、自ら「(得意な)サッカーをやりたい」と言ってきたのだという。今思えば、これが後の進路を決定づけることになった。
◆経験がないので自由にやらせることに徹した
ところが、高木さん自身のサッカー経験は学校の体育の授業などでやった程度。観戦した経験も、年に1度あるかないかだった。
「まったくの素人ですよ。基礎が何なのかもわからない。だから、リフティングができる方がいいのか、できなきなくてもいいのかもわからない。ある人に聞いたら『余り必要ないよ』という人もいれば『一番大切だ』という人もいるし『どっちなんだよ』と(笑)」
そのため、あまり細かいことには首を突っ込むことなく、ある程度好きなようにやらせることに徹した。すると、息子たちは自分たちで適宜リフティングの練習をするなど、自分たちで好きなように練習をしていたそうだ。
これが、もし野球であれば元プロ野球としてはそうはいかない。
「うるさかったと思いますよ。だから、嫌になっていたでしょうね。おそらく途中で潰れて、野球では“高木3兄弟”にはなっていなかったでしょう」
高木さんのアスリート育成は、自由にやらせることが基本となっていった。
《次回に続く》
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■プロフィール
高木豊(たかぎ・ゆたか)/1958年10月22日生まれ、山口県出身。多々良学園高〜中央大〜横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ〜日本ハムファイターズ。中央大では東都大学リーグ通算115安打、ベストナインを4回獲得した。ドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。「スーパーカートリオ」の1人として、1984年に盗塁王、遊撃手と二塁手として3度ベストナインに輝くなど活躍した。1994年に現役を引退後は、アテネ五輪野球日本代表の守備走塁コーチなど指導者としても、野球解説者としても活躍した。ツイッターアカウント/@bentu2433
■ライター・プロフィール
キビタキビオ/1971年生まれ、東京都出身。野球のあらゆる数値を測りまくる「炎のストップウオッチャー」として活動中。元『野球小増』編集部員で取材経験も豊富。NHKのスポーツ番組に出演するなど、活躍の場を広げている。ツイッターアカウント/@kibitakibio