★運命の併殺打からすべてがはじまった
後に“メジャー屈指のクローザー”と謳われることになる斎藤隆は東北福祉大の2年生まで内野手だった。2年秋に試合前のブルペン。遊んで投げていたところを密かに見ていた当時の伊藤義博監督は、とある決断をしていた。
次の試合で代打に出る時に「この打席で打てなかったら、ピッチャーになれ」と斎藤に突然の宣告。結局、その打席で内野ゴロ併殺打という最悪な結果に終わり、投手へのコンバートが決まった。「いままでマウンドに上ったことはないのに……」。不安を抱える斎藤だったが、この伊藤監督の決断が“投手・斎藤隆”の運命を切り開いていった。