決定版!高校野球・歴代「アイドル球児」ベスト3
厳しい残暑が続く日本列島。そんな猛暑にも負けず、さわやかさを振りまく高校球児たちの健気な姿にキュンときている女性ファンも多いのではないだろうか。
甲子園の歴史を振り返ると、数年に一度、普段野球に興味がない層にまで波及する「アイドル球児」が誕生し、日本列島を巻き込むブームが生まれることがある。そこで、歴代の「アイドル球児」トップ3を勝手に選出。伝説を振り返りながら「アイドル球児」が生まれる条件を探ってみた。
【元祖・アイドル 太田幸司クン】
歴代アイドル球児の中で「元祖」ともいえる存在が三沢の太田幸司だ。1968年夏から3季連続出場し、1969年夏には東北勢戦後初の決勝戦進出を果たした。アメリカ人とのハーフで、その甘いマスクが日本中の女性を魅了。その人気ぶりは、「青森県・太田幸司」だけでファンレターが届いてしまったほど。2013年夏、福知山成美の主将として、息子・太田幸樹が甲子園に登場したことで再び話題を集めた。
(イラスト/横山英史)
【バンビ! 坂本佳一クン】
1977年夏に颯爽と現れたアイドル球児が坂本佳一。名門校・東邦の1年生エースとして活躍し、チームを決勝戦にまで導いた。その実力、華奢な体格ながらひたむきに投げ続ける姿勢、そして首が長くてあどけない風貌から「バンビ」と呼ばれ、一世を風靡した。
【大ちゃんフィーバー 荒木大輔クン】
甲子園の歴史の中でも、最も人気を集めたアイドル球児が、1980年夏から5季連続出場を果たした早稲田実業のエース・荒木大輔だ。1年生ながら甲子園の決勝戦に進出。その後、全国で「大輔」君が誕生する“大ちゃんフィーバー”が生まれたのはあまりにも有名。
「アイドル球児」と言えば他にも、原辰徳(東海大相模)、定岡正二(鹿児島実)、近年ではダルビッシュ有(東北)、斎藤佑樹(早稲田実業)などがパッと思いつくが、上述した3人が、実績と当時の人気ぶりはやはり抜きん出ているのではないだろうか。3人に共通するのは、さわやかな出で立ちと、いずれも決勝戦の舞台で敗れて、準優勝に終わっていること。その悲劇性も「アイドル」という儚い存在には必要不可欠なのだ。