file#027 南昌輝(投手・千葉ロッテマリーンズ)の場合
『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
今回の担当ライターは高木京介投手(國學院大→巨人)、十亀剣投手(日本大→JR東日本→西武)、澤村拓一投手(中央大→巨人)に引き続き、4回目の登場となる山田沙希子さんです!
88年生まれの世代の中でも地味な存在、チームでの役回りも中継ぎ(セットアッパー気味)と地味ではありますが、いまのロッテにこの投手がいなくなったら、どうするの!? とまで思われる地味ながらも、欠かせない投手の登場です!
◎西口2世
中継ぎとして確固たる地位を築きつつある南昌輝。県和歌山商時代から好投手として注目を浴びていた。プロ志望届を提出したが指名はなく、立正大に進学。辿ってきたこの経歴が西口文也(西武)と同じ事から、「西口2世」と言われていた。
大学1年秋から登板機会を得、中継ぎ、先発を経験。下級生時から大きな戦力として頭角を現してきた。
シンプルなフォームから繰り出される直球には威力があり、加えて多彩な変化球を持っている、奪三振が多い投手だった。
◎安定感と脆さが紙一重
上級生になるとほとんど先発を任されていた。彼が3年春のことだった。2勝先取で勝ち点を得られる方式のリーグ戦において、立正大は1カードで4試合45イニングスもの熱戦を國學院大と演じている。天候の関係で連戦ではないが、この内32回2/3を南が放ったのだ。
まず1戦目は8回途中無失点の好投で先勝。走者を幾度も背負いながらも粘り強いピッチングを見せた。
南は試合を作れるという安定感はある一方、急に四球で自滅してしまう脆さもかすかにあった。手がつけられないほど絶好調という時でさえも「このまま続くだろうか」という不安もぬぐい切れなかった。
最初に書いた通り、彼の投球フォームは大きいものではない。南自身も大声を出して、気合いを前面に出していく方でもなかった。ひょうひょうとしている……というわけでもない。【豪傑、気迫と淡々の間】。そんな何とも表しようのない独特の空気をまとっており、当時の東都でエースと呼ばれていた澤村拓一や高木京介(ともに巨人)らとはこちらに与えられる印象がまるで違っていた。
しかし、その鉄腕ぶりは素晴らしかった。結果を言ってしまうと先の國學院大戦では1人で1勝2敗。
引き分けを挟み迎えた3戦目はお互いにゼロ行進で試合は進む。延長13回までわずか3安打3四球ながら、14回に連続四球を出して降板。150球をゆうに超える投球数なのだから、決して責められる内容ではない。
1週間後に行われた試合では、12回まで2安打2四球の快投である。それでもやはり味方の援護に恵まれず、結局13回2死の場面でサヨナラ2ランを喫して試合終了。
勝ちに恵まれない投手、などという一文では済ませられないほど悲劇のヒーローだった。
◎ケガに泣いた大学ラストイヤー
このシーズンで最下位に沈み、2部優勝チームとの入れ替え戦に回った立正大。1学年上の小石博孝(西武)の台頭もあり、南は抑えとしてチームの勝利に貢献。1部残留を果たした。
秋季リーグ序盤は中継ぎ、抑えとして登板し、中盤からは先発に回った。終わってみれば防御率0.85、3勝0敗と見事なまでの内容だった。立正大の創部初優勝の栄冠とともに、最高殊勲選手、最優秀投手の個人賞をダブル受賞。
全国の舞台である明治神宮大会でも好投を見せて日本一に輝いた。
しかし自らが最上級生となった春のシーズン。南は右肩を痛めて本調子ではなかった。前年春と同じく最下位に沈み、入れ替え戦に臨むこととなった。普通に考えれば、エースの南が1戦目の先発になるはずだろう。しかし南は初戦に登板せず、1敗で迎えた2戦目の先発マウンドに立った。今日負ければ降格の背水のマウンド。
立ち上がりから制球に苦しみ、投球が審判を直撃してしまった。痛みを隠せない球審を心配そうに見つめ、目が合うと頭を下げた。
しかし、一球ごとに何か落ち着かない素振りを見せていた。明らかに試合に集中しきれておらず、何事かと思っていた。
3アウトチェンジとなり、南はベンチへ戻る際に球審に駆け寄って帽子を取り、謝罪していた。球審は笑顔で答え、ようやく南の表情も緩んだ。
「こんな大事な時に何をそこまで気にして…律儀にも程がある」と思いつつも、南らしさを感じてこちらも勝手に嬉しくなった。
この試合は7回までノーヒット。しかし、四球7つと決して楽なピッチングではなかった。結局8回にヒットを打たれてしまい快挙とはいかなかったが、9回途中まで1安打無失点。1勝1敗のタイに持ち込んだ。
しかし連投となった翌日は5回途中5失点KO。前年秋の日本一から一転、よもやの二部転落となった。
4年生になった南は明らかに体重が増えていた。筋肉というよりは、太ってしまった印象。元々立派だった腰回りはさらに大きくなっていた。
そんな南を見ながら「体重増えたんじゃないかな?」などと言えている間はよかった。秋のシーズンが進む内に南が登板することはなくなっていった。いや、ベンチさえも外れていた。つまり戦力としては考えられないほどの状態になっていた。
右肩の状態が思わしくなく、春季リーグ後に大学日本代表候補の辞退を申し入れていたのだが、秋前に完治することはなかった。
◎“2年目”のジンクスは…?
久しぶりに見た南の立ち姿はしっかりとして、それでいて太っているとは思わなかった。
しかし漂わせる雰囲気にはふてぶてしさを感じた。プロならそれでいいと思う。
プロ1年目のおととしは右肩の回復に努めた。昨年はリリーバーとして上々の成績を残した。実質プロ2年目になる今年はどんな活躍を見せてくれるのだろうか。キャラが強い同年代のロッテ救援陣に埋もれないでほしい。
文=山田沙希子(やまだ・さきこ)/早い時期から東都大学の魅力にハマり、大学生時は平日の多くは神宮球場または神宮第二球場に通い詰めた、三度の飯より東都大学リーグが好きなライター。多くの東都プレイヤーの取材を通して、さらに東都愛は加速。ナックルボールスタジアム主催のイベント「TOHKEN〜東都大学リーグ野球観戦研究会〜」でも活躍。