二段モーション禁止で投手生命の危機を迎えた三浦大輔はいかにして克服したのか
菊池雄星(西武)への判定以降、侃侃諤諤の議論が交わされている「二段モーション」。ヤクルトの真中満監督も「セットでの投球もあいまい。ウチの小川も怪しいとか言われるしね。審判団で話し合って、キャンプ中に注意してくれないと」「NPBがあいまい。やるならば徹底的に取り入れるべき」と提言し、海の向こうではダルビッシュ有も「本当にどうでもいいことには力入れるよなぁ」とTwitterでつぶやいたことがニュースとなった。
だが、ずっと以前からこの「二段モーション」について異議を唱え、提言を続けてきた男がいる。昨年限りでユニフォームを脱いだ、ハマの番長こと三浦大輔氏(元DeNA)だ。かつて“二段モーションといえば三浦”といわれるほど、この投球スタイルが代名詞のような存在だっただけに、自著『逆境での闘い方』(2012年刊)で二段モーションへの思いをこう綴っている。
《自分にとって二段モーションは命そのものだった。これがあったからこそプロでそれなりの結果を出すことができたし、日本一という美酒も味わえたと思っている》
そんな「命」というべき二段モーションが禁止されたのは、2006年シーズンのことだった。