“監督不在”で無念の敗退……残された11人の部員とPL学園野球部はこれからどうなっていくのか!?
【この記事の読みどころ】
・「逆転のPL」ならず。淡白な攻撃を繰り返し、準々決勝敗退
・“監督不在”のため、試合中に修正を施せず、チームとして力を発揮できなかった
・教団の本心が見えてこない……。PL学園野球部はこれからどうなるのか?
逆転のPL――。
このフレーズが生まれたのは1978年の夏。西田真二(元広島)、木戸克彦(元阪神)のバッテリーが投打の中心だったチームが、甲子園・準決勝の中京戦では0−4の9回裏に4点を取って追いつき、延長12回にサヨナラ勝ち。決勝戦の高知商戦も0−2の9回裏に3点を奪ってのサヨナラ勝ちと、まさに神がかり的な勝利で初の全国制覇を達成した。ここに「逆転のPL」のフレーズが生まれると、それ以降、様々な逆転劇、名勝負を演じてきた。
しかし、2015年夏。準々決勝・大体大浪商戦、PL学園は1点を追う状況で9回裏を迎えた。本来は4番ながら上宮太子戦でヒザを故障し、この日は途中出場だった大丸巧貴、監督代行としてベンチからサインを送り続けていた代打の奥野泰成、7回には同点に追いつく本塁打を放っていたネイサン、と続けて内野ゴロ3本。何事も起こることなく、ゲームは静かに終わった。
現状では甲子園を賭けたPL学園最後の戦いはここで幕を閉じた。