後に名球会入りする選手も、高校時代は夢のまた夢。こんなに険しい甲子園出場への道!!
熱戦が続いた各地方大会も終わり、開幕が待ち遠しい甲子園大会。振り返ってみると、今年の地方大会は「番狂わせ」が多かった印象が強い。いわゆる甲子園常連校やセンバツ組の敗退が各地で相次いだ。代表例は、センバツにも出場し、世代No.1投手と目されていた高橋純平が在籍する県岐阜商は岐阜大会・準決勝で敗退。高橋はその準決勝には登板せず、最後の夏の登板は1試合1回2/3だけで終わった。
ここ数年、2012年の大谷翔平(花巻東/現日本ハム)や2013年の松井裕樹(桐光学園/現楽天)など、「世代No.1投手」と呼ばれていた選手の地方大会敗退が相次いだ。同様に、プロの世界で華々しい活躍を見せたレジェンドたちにも、最後の夏に甲子園出場が叶わなかった選手は多い。そんな「苦杯を味わい、糧にした男たち」の一例を見ていこう。
【最後の夏、甲子園に出られなかった男たち〜打者編】
興味深いのが歴代安打数上位4名だ。イチロー(愛工大名電/現マリーンズ)、張本勲(浪華商[現大体大浪商]/元東映ほか)、野村克也(峰山/元南海ほか)、王貞治(早稲田実業/元巨人)……なんと、日本プロ野球史で最もたくさんのヒットを放った大打者たちが、揃いも揃って最後の夏に甲子園出場を逃している。
野村は高校時代、一度も地方大会を突破できず。イチローと王貞治は、2年夏やセンバツでは甲子園出場を果たしているが、最後の夏は出ることができなかった。そして、悲劇的なのが張本勲。強豪校に転校までして臨んだ3年夏。見事に地方大会を勝ち上がって甲子園大会出場権を勝ち取ったにもかかわらず、部内の不祥事があって出場が叶わなかった。
2000本安打を達成した選手たちだけを見ても、長嶋茂雄(佐倉第一[現佐倉]/元巨人)、山本浩二(廿日市/元広島)、落合博満(秋田工/元ロッテほか)、野村謙二郎(佐伯鶴城/元広島)、秋山幸二(八代/元西武ほか)、古田敦也(川西明峰/元ヤクルト)など、後に監督も務めるようなレジェンドたちが “最後の夏”どころか、一度も甲子園の土を踏めずに高校野球を終えている。
他にも内川聖一(大分工/現ソフトバンク)、中田翔(大阪桐蔭/現日本ハム)、松井稼頭央(PL学園/現楽天)ら2013WBC日本代表に名を連ねるような選手たちも最後の夏、地方大会の決勝戦で涙を流している。
【最後の夏、甲子園に出られなかった男たち〜投手編】
プロ野球の歴史でもわずか21人しかいない名球会投手。こちらも、400勝・金田正一(享栄商/元国鉄ほか)、鉄腕・稲尾和久(別府緑丘[現芸術緑丘]/元西鉄)、サブマリン・山田久志(能代/元阪急)……などは高校時代に甲子園のマウンドを踏んでいない。
21名中、甲子園に出た選手だけでもわずか7名。そして、最後の夏に全国の舞台に名乗りをあげたのは東尾修(箕島/元西鉄ほか)、工藤公康(名古屋電気[現愛工大名電]/元西武ほか)、佐々木主浩(東北/元横浜ほか)、高津臣吾(広島工/元ヤクルトほか)のたった4名しかいない(しかも、高津は野手として出場、「甲子園のマウンド」には登っていない)。
過去をさかのぼると、地方大会の決勝戦で敗れ去った選手が実に多い。名球会投手ではスタルヒン(旭川中/元巨人ほか)や皆川睦雄(米沢西[現米沢興譲館]/元南海)。ほかにも、斎藤雅樹(市立川口/元巨人)、渡辺久信(前橋工/元西武ほか)などが決勝戦で敗退。特に渡辺は押し出しでサヨナラ負け、という苦い球歴を持っている。
現役投手に目を向けると、木佐貫洋(川内/現日本ハム)は鹿児島大会で杉内俊哉(鹿児島実業/現巨人)と投げ合い惜敗。三浦大輔(高田商/現DeNA)、小川泰弘(成章/現ヤクルト)、成瀬善久(横浜高/現ヤクルト)、内海哲也(敦賀気比/現巨人)ら、各チームのエース格が地方大会決勝戦で涙を流した投手たち。そして冒頭でも記したように大谷翔平も2012年、岩手大会決勝で敗れ、最後の夏の出場を逃している。
そもそも、全国でわずか49代表しか進めない甲子園への険しい道。甲子園出場の夢を果たせずに涙を流す選手のほうが圧倒的多数だ。だからこそ、各地方大会から熱戦・好ゲームは生まれ、見る者の心を動かす。2015年、そんな見逃せない夏はまだまだ続く。