戦前は現在の最高裁判所に相当する大審院の部長判事、戦後は最高裁の裁判官をつとめた井上登(のぼり)が、1956(昭和31)年の1月16日に2代目コミッショナーに就任した。初代の福井盛太(もりた)も検事総長からの転身で、法曹界に人材を求める動きは昔も今も変わりないようだ。なお、井上登と言えば1950〜60年代にかけて中日と南海で活躍した内野手がいるが、あちらは「のぼる」。もちろん別人である。