「ぼく、中学入学当時は背の順で並ぶとクラスで真ん中より少し後ろの位置だったんですよ」
「こんにちは! 今日はよろしくお願いします!」
テレビ番組の収録終了後、テレビ局内にある喫茶室に登場した赤星憲広さん。2007年に取材して以来の対面だったが、現役時代同様の引き締まったボディーと爽やかな笑顔は7年前となんら変わっていなかった。
「今日は『小さな体でプロの世界を生き抜く方法』というテーマで赤星さんに話をうかがいたいのですが」
「わかりました!」
2000年秋に阪神タイガースのドラフト4位指名を受け、プロの世界に飛び込んだ赤星さん。公称ボディーサイズは170センチ66キロとプロ野球選手としては小柄な体格ながら快足を武器に1年目からレギュラーに定着。ルーキーイヤーから5年連続で盗塁王に輝き、「レッドスター」の愛称で親しまれた。通算成績は1127試合、打率.295、3本塁打、381盗塁。2009年9月、ダイビングキャッチを試みた際に中心性脊髄損傷の大ケガを負い、惜しまれつつ引退。現役生活はわずか9年で終わってしまったが、まぎれもなく2000年代を代表するタイガースのスター選手の1人だ。
現在は野球評論家、解説者として多忙な日々を送っている。
「ぼく、中学入学当時は160センチあって、背の順で並ぶとクラスで真ん中より少し後ろの位置だったんですよ。ピッチャーをやっても全然打たれなかったし、ホームランだってパカパカ打っていた。だから、中学時代までは体が小さいことのハンデなんて考えたこともなかった」
中学卒業後は地元・愛知の強豪公立校である大府高校に進学した赤星さん。高校入学時の身長・体重は167センチ60キロだった。
「高校に入ったら周りが自分よりも大きくなってきたんですよね。身長だけでなく、体つきもがっちりしだしたし、それに比例してパワーもつけてきた。特に1個上の先輩方がものすごく体が大きかったんですよ。ぼくは下級生ではただ1人メンバーに入れてもらっていたのですが、先輩たちと自分のパワーの差は歴然だった」
甲子園を目指す愛知県内のライバルである中京大中京高、愛工大名電高、東邦高といった強豪私立の選手たちの立派な体躯にも圧倒された。ライバル校の主力投手陣が投げ込んでくるボールは速い上に力強く、思うようにはじき返せない。
「高校入学後に左打ちに転向したことも相まって、なかなか打球が飛ばない。でも、周りには遠くに飛ばすことができる選手がたくさんいた。このあたりからですね、自分の体の小ささ、非力さをハンデと感じるようになったのは。『体が小さいことって野球をやる上で不利なんだ』と実感するようになったんです」
赤星さんは少し遠い目をしつつ、自身が高校球児の頃に感じていた心情を思い起こしていた。
(次回につづく)
■ライター・プロフィール
服部健太郎(はっとり・けんたろう)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。