簡単に言えば、割り切りですね。ないものねだりはせず、自分の特徴を高いレベルにしよう!と。
イントロダクション:「ぼく、中学入学当時は背の順で並ぶとクラスで真ん中より少し後ろの位置だったんですよ」
第1回:「大学時代に50メートルが5秒8から5秒5になりました。あまりの速さに自分でも走りながら笑っちゃうくらい。」
◆やはり体が小さいことはハンデなのか?
――大学で実績を残し、今度こそプロからの指名があるはずと思いきやなかった。その時の心境はどのようなものでしたか?
赤星 スカウトの方々は「やはり体が小さいのがネック」だと言っていたらしいんですよね。
――高校3年の時と同じことをいわれた……。
赤星 そう。プロの世界に入れてくれさえすれば、やれる自信はあるのに、体が小さいことで勝負の土俵にも乗れないのかと。やはり体が小さいことはハンデなのか、と強く思わされましたよね。
――大学卒業後はJR東日本に入社します。
赤星 ほかにも誘っていただいたチームはあったのですが「いくらプロで活躍できる自信があっても、体が小さいことで最終的に目標としているプロにはいけないかもしれない。それならば一生勤められそうな、安定した優良企業で社会人野球をしたほうがいいだろう」という思いが自分の中にあった。それがJR東日本を選択した大きな理由でした。
――当時の社会人野球は金属バットでしたよね。大学時代よりもさらに長打を打つことができたんじゃないですか?
赤星 そうですね。たしかに飛ぶんです。金属は。振り遅れた打球がふらふらっと西武ドームのレフトスタンドに入ったりしますから。でも、そうなると心のどっかで「長打も打ちたいな」、「打てるところをプロにも見せておきたいな」という色気が生まれてしまって。
――大振りになってしまった?
赤星 そうなんです。バッティングの内容としては悪い方向へいってしまった。自分の持ち味、特徴というものを忘れかけてしまったような時期でした。そんな大味になっていた自分の打撃が変わるきっかけになったのが、メンバーに選出された2000年のシドニー五輪だったんです。
◆転機となったシドニー五輪
――シドニー五輪では金属バットは使えず、使用バットは木製でしたよね?
赤星 そうなんです。世界大会ですから、相手ピッチャーの球は驚くほど速くて強い。その球を木のバットで打つとなると、社会人に入って身についてしまった大味なバッティングじゃ、とてもじゃないけど打てる気がしなかった。その時に心の底から思えたんです。
「自分は長打を狙うべき選手じゃない。ホームランは100パーセント捨て、練習でも一切長打は狙わないようにしよう。練習の時からコンパクトなスイングでピッチャーの足下へ強い打球を打ち返すことだけを徹底しよう」と。
その頃から「自分の役割はなんなのか?」、「どうすれば野球選手として自分はアピールできるのか?」ということを突き詰めて考えるようになりました。
――なるほど。
赤星 体が小さいからダメだと言われ続けて、体を大きくしようと頑張ってきたけども、社会人になって身長が伸びる要素もほとんどない。でも、野球というスポーツは、体が小さい選手でも務めることができる役割、ポジションがあるじゃないかという風に思えるようになっていって。
――ゴルフだってバッグの中にはいろんな役割を果たすクラブがあって初めてゴルフが成り立つ。野球も一緒じゃないかと?
赤星 そうなんですよ! ゴルフと一緒じゃないかと。自分なんかは距離の出ない、ピッチングウェッジやサンドウェッジみたいな存在のクラブなんでしょうけど、ゴルフでスコアメイクをする上で不可欠なクラブじゃないですか?
――不可欠ですよね。
赤星 無理に体を大きくするよりも、そのクラブとしての性能をしっかりと磨いたほうがプロへの道に近づくのではないか、と思えるようになって。それまではプロの世界ってアマチュア時代は4番を打っていたような選手が1番や2番を務めてるんだろうな、という勝手な決めつけが自分の中にあったんですよ。でも、よくよく見るとそんなことはなく、プロで1、2番を打ってるような選手はアマチュア時代から案外1、2番を打ってたりするんだなと。
――たしかにプロでピッチングウェッジの役割を務める人がみんなアマチュア時代にドライバーだったわけじゃないですよね。
赤星 そうなんですよ。ないものねだりをしてる暇があったら、自分の特徴をどれだけ高いレベルにもっていけるか。常にそう考えられるようになった。簡単に言えば、割り切りが生まれたんです。
――割り切れるようになった。
赤星 そう。割り切れるようになってから、野球選手として、大きく変われた気がします。体が小さかったから余計に割り切りやすかったのかもしれない。
――そして社会人2年目の2000年秋、阪神タイガースがドラフト4位で指名。プロへの扉を見事にこじ開けました。
赤星 大方のスカウトは僕を獲得することに反対だったそうですが、担当スカウトだった菊地敏幸さんがぼくを強力にプッシュしてくださったと後に聞きました。
「もしも、赤星が活躍しなかったら自分が責任を取る」とまで言ってくださってたみたいで。当時の野村克也監督の「一芸に秀でた選手を獲れ!」という方針もぼくにとっては追い風となり、目標だったプロ入りを果たすことができたんです。
(次回へ続く)
赤星憲広(あかほし・のりひろ)
1976(昭和51)年4月10日生まれ、愛知県刈谷市出身。大府高〜亜細亜大〜JR東日本〜阪神タイガース。大府高では内野手として活躍。1993年、1994年と2年連続でセンバツに出場する。亜細亜大2年春のシーズンから外野手に転向。1部通算45盗塁はリーグ歴代3位の記録を残す。JR東日本に入社後、シドニー五輪強化指定選手に選ばれ、プロのキャンプに参加した。阪神のキャンプに参加した際に、当時の監督・野村克也氏の目に留まった。2000年のシドニー五輪代表に選ばれる。同年のドラフト会議で阪神から4位指名を受け、入団した。その後、阪神黄金期の主軸選手として活躍し、2003年、2005年のリーグ優勝に大きく貢献。ダイビングキャッチを試みた際に、選手生命を脅かす首のケガを負い、2009年オフに現役を引退。現在は解説などで活躍中。
また、2004年の球界再編問題を機に、中学生を対象とした野球チーム「レッドスターベースボールクラブ」を設立した。野球がうまくなるような手厚い指導をしていくことはもちろん、子どもたちに野球が出来る環境、野球を通した人間的成長、そして子どもたちに夢を与えていく、といったことを目指している。
この「レッドスターベースボールクラブ」では、例年1月中旬に新入団選手のトライアウトを行っている。11月初旬からトライアウトの募集を開始する予定。
応募資格は
・活動拠点(大阪市内より1時間圏内)の活動に週1日以上参加可能であること
・平成26年4月に中学生1年生になる健全な男子
興味のある方は、
ホームページ(http://www.redstar53.com/rsbbc/)をご覧ください。
各種お問い合わせ先は、
特定非営利活動法人 レッドスターベースボールクラブ事務局(株式会社オフィスS.I.C)
担当:泊、杉山
〒659-0065 芦屋市公光町10-10 B.Block N-3
TEL 0797-23-7177(平日10:00〜18:00)
FAX 0797-23-7178
E-Mail:npo@rsbbc.com
■ライター・プロフィール
服部健太郎(はっとり・けんたろう)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。