◆この連載は高校時代を“女子球児”として過ごした筆者の視点から、当時の野球部生活を振り返るコーナーです。
「女の子になってる」
顔を合わせるなり、そう声を掛けられた。そりゃそうでしょ、と心の中でつぶやくが、口には出さない。懐かしさと不思議な感覚が一緒になって、胸を満たしていた。
高校を卒業してから10年が経った春の日、ひとつの知らせが届いた。野球部のプチ同窓会。1998年を過ごした3学年の有志で集まる予定だという連絡を、後輩部員の男の子がくれた。ほとんど連絡を取り合うこともなく疎遠になってしまった中で、また顔を合わせる機会を作ってくれた彼らに感謝しつつ、待ち合わせの場所へ足を運んだ。
私の存在を受け入れてくれた彼らに、あらためて感謝の意を伝えたい。皆のおかげで、私は楽しく野球をすることができたのだ。
もうすぐ夏がやって来る。今年も多くの球児たちが白球を追い、空が喜びと涙に染まり、甲子園には新たなヒーローが生まれるのだろう。
あの頃もそうだった。豊作と謳われた私たちの学年には、夏を境に呼称がつけられた。
“松坂世代”
そのフレーズを口にすれば、相手はそれだけで頷いてくれた。
私が野球を始めたのは、小学校中学年の時だった。近所のクラブチームに誘われた弟にくっついて入団したのだ。ルールも何も知らず、仲間はずれになるのが嫌という理由だけだった。
同時にプロ野球のファンになり、テレビ中継を見始めた。もともと運動は苦手で、体育の成績は酷いもの。それでも、野球というスポーツの虜になった。当時のチームに女の子が多くいたことも、自分にとっては幸運だった。
中学校に進むと、友人たちと一緒にブラスバンド部に入ったため、自分でプレーすることはなくなった。でも、ナイター中継を日常的に見るようになり、そこから一般的な女の子とは別の道を歩み始めた気がする……。
高校入学後も迷わずブラスバンドに入部した。野球は見て楽しむものであり、それで満足していた。
それに周知のようにブラスバンドと野球部は深い関係で、夏の予選で炎天下の観客席に駆り出され、クラクラしながらプロ野球チームの応援歌を演奏したのは良い思い出だし、パート練習をしようと向かった教室で野球部の皆が涼んでいるところに鉢合わせした時は、快く場所を譲ってもらった。ブラスバンドで活動しながらも野球、野球部に接することができて、とても楽しかった。
その一方でブラスバンドは、同級生が極端に少なく、担当楽器もひとりだけ。演奏は好きだけれど、ちょっと物足りなさを感じていたのも事実だった。何かが私の中で変わりつつあったのかもしれない。
さらに偶然、クラスの担任が野球部の顧問だった。野球好きであることを告白した私に、「マネージャーやらない?」と誘いの声をかけてきたこともある。
その時は真に受けることはなかったが、その半年後にユニフォームに着るようになっているとは、誰も想像していなかったはず。眼鏡を掛けて黒髪を二つに結い、膝の隠れる丈のスカートをはいた1年生が、部員として入部するなんて。
何よりも、私自身がその結果に驚いていたのだから……。