◆この連載は、高校時代を“女子球児”として過ごした筆者の視点から、当時の野球部生活を振り返るコーナーです。
目の前で仲間たちが戦っている。試合は中盤、上位進出を有望視されている相手校にリードを許す展開。このままでは夏が終わる…。まだ続いてほしいと願っている高校野球生活が終わってしまう――。
ノッカーとして神宮球場の打席に立った数日後、私は内野スタンドにいた。初戦を大勝したあとの2戦目。この日の相手は同じ都立だが強豪校のひとつとされており、この翌年に甲子園出場を果たした。
その強敵に対し、苦戦するチームメイト。比較的、和やかだった初戦に比べて、重い雰囲気がベンチ周辺を包む。私は、控えの後輩たちとともに彼らへ声援を送った。
前の試合はユニフォームを着たが、今日は制服。選手としての一線から身を引いた者として、できることは応援のみ。どうにか追いついて、勝ち越せますように。この祈りが届きますように……。
そんな中、名前を呼ばれた。初戦だけではなく、この日もいくつかの取材が来ていたようで、バックネット付近へ行くように指示される。そこにはラジオ局のスタッフがいて、この試合を中継しているとのことだった。
たとえ注目選手がいるのだとしても、決勝戦でもなんでもない地区大会の3回戦を放送するなんて珍しいことだ。それも一般的によく知られている局で。そこで自分たちの試合が紹介されていると想像するだけで不思議な感覚に包まれた。
その中継に、私は“ゲスト”というかたちで急遽出演することになった。実況のアナウンサーがいくつかの質問を投げかけてくる。リアルタイムで流されることに戸惑いながら答えたが、最後にこう問われた。
「高校野球をやってきて、1番の思い出はなんですか?」
そこでこれまでの3年間を振り返り、選び出すこともできたと思う。それでも私はすぐにこう答えていた。
「みんなと毎日野球をやったことです」
負ければ、もうその時間は取り戻せない。当たり前だった風景が過去のものになる。まさにその瞬間が近づいていたからこそ、そう口にしたのかもしれない。
今になって思い返せば、1番の思い出は間違いなく神宮球場でのノックだ。でもあの時の自分にとって、何よりも大切だったのは“みんなと野球をやる毎日”。それは決して飾りでもなんでもなく、本音だ。
私の答えが印象的だった、と解説者が言っていた。私が放送席を離れて応援に戻ったあと、そう感想をもらしていた。中継放送の録音を聞いた私自身もまた、その言葉を胸に刻んだ。
結局、その日が私たちにとって最後の試合になった。終わりが迫り来る恐怖感から余裕をなくしていたせいか、マイクを通じた私の声には愛想のかけらすらなかったと思う。一秒でも長くみんなを応援していたいのに、邪魔をしないでほしい。正直、その思いのほうが強かった。
でも、皆が舞台を用意してくれたからこそ放送してもらえたのだ。ラジオもテレビも、新聞も週刊誌も。押し出してもらえたおかげで、貴重な経験をいくつも味わうことができた。
野球部のおかげで、高校生活は楽しいものになった。つらいことも、苦しいことももちろんあったけれども、最後まで続けられたのはみんなのおかげ。そして、野球が好きだという自分の気持ち。
高校卒業を迎えた日、式典が終わると部室の前に全員が集まった。後輩たちのメッセージが書かれた色紙を渡される。そこにはこう記してあった。
「みんなで野球をやったことを忘れないでください。誇りにもっていてください」
たったひとりの女子部員が入って来たことで、皆にも様々な影響があったと思う。時には複雑な心持ちになったかもしれない。それでも私を輪に入れてくれた。楽しい日々を過ごさせてくれた。
色紙は今でも大切にとってある。思い出は色あせない。そして、私の野球への想いも変わることはない。