書籍『野球部あるある』(白夜書房)で「野球部本」の地平を切り拓いた菊地選手とクロマツテツロウが、「ありえない野球部」について迫る「野球部ないない」。
最初に取り上げるのは「東の横綱」と称される帝京高校野球部。普通の野球部では「ないない」と言われるであろう「帝京野球部あるある」を描き出すため、帝京野球部OBで現在は芸人として活躍する杉浦双亮さん(360°モンキーズ)に会いに行ってきた。今回は「前田三夫監督に干されてからの日々について。
無視なので結構自由な時間ができた
杉浦さんが高校に入学する直前の春のセンバツ。帝京は2回戦で敗れたのだが、その試合で四球を連発し、敗因の一端を作ってしまった3年生投手がいた。
杉浦さんが入学すると、その3年生投手は練習には参加していたものの、ただ「参加していただけ」だった。試合で登板機会を与えられることはおろか、監督から声を掛けられることもない。まるで存在そのものがないものとして扱われていた。
奇しくも1年半後、練習試合で大失態を犯した杉浦さんは、自身がそんな空気のような存在になることになった。
「完全に干されて、練習も無視なんですよ。打撃練習もさせてもらえない、ノックも受けさせてもらえない。バッティングピッチャーは勝手にやってましたけど…。でも無視なので、結構自由な時間ができて、逆に良かったのかなと。バレーボール部とか、いろんな部活の練習を見に行ったり、普段はできなかったことができたので…」
杉浦さんの話がスルスルと進んでいくが、こちらはまず「干されて無視」という時点で、思考がなかなか前に進めない。
そんなことが本当にあり得るのか。仮にも一人の元・高校球児として、受け入れたくない現実だった。
その後、杉浦さんがメンバーから外れた帝京は秋季都大会で敗れ、センバツ出場が消滅する。その時点で最上級生の2年生は「主力の3人以外はみんな切られた」という。
つまり、僕の高校時代の招待試合(第一回参照)にやってきた、1年生だらけの帝京とまったく同じ状況だったのだ。
「いくら練習でがんばっても無視。ちょっと私生活で問題があった奴なんて、引退するまで『タッシー』(練習を立ちっ放しで見学する罰/第二回参照)でしたから」
どんなに努力しても声も掛けてもらえない、存在すら認めてもらえない、報われない日々。杉浦さんの中で、諦めて「野球部を辞める」という選択肢はなかったのだろうか。
「なんかねぇ、なかったですね。そこで辞めると、負ける気がしたんですよね、キャンツー(前田監督を指す隠語/第四回参照)に。もう意地ですね。辞めたら今までやってきたことがなくなっちゃう」
その中には、わずかでも希望はあったのでしょうか? そう聞くと、杉浦さんは力強く「ないです!」と断言した。
「たとえば練習中に集合して監督が話すときも、レギュラーに『じゃあ次なぁ〜、オマエらトレーニングやっとけよぉ〜』と言って、僕らのほうは全然見もしないんですから」
シリアスな話をしているはずなのに、途中で前田監督のモノマネが挟まるので、悲壮感がまったく出てこない。それは杉浦さんの芸人としての「性」なのか。いや、もしかしたら人間としての本能なのかもしれない。自分の理解を超えた状況に陥ったとき、ほとんどの人は絶望して「悲しむ」だろうが、ほんの一部の人は開き直って「笑う」のではないだろうか。杉浦さんは、その後者だった、という見方もできる。
最後の夏に敗戦した相手を覚えていない
3年最後の夏、杉浦さんの姿はスタンドの応援席にあった。
「応援してるんですけど、はっきり言ってテキトーですよね。『オイ〜、これから頑張れよ2年〜』『おっ、今日で負けるか? 負けるな? きついぞ明日から〜』『地獄の合宿が待ってるよぉ〜』とか言いながら。最後はベスト4か8か、国士舘に負けたのかな? もうそれすら覚えてないくらいですからね。負けても涙はまったく出てきませんでした」
試合が終わっても、監督から3年生に向かって声を掛けられることは最後までなかった。
「3年間で監督が選手を集めてミーティングをするってことが、まずなかったですからね。選手に何か話すとしたら、説教くらいです。『オマエそんな打ち方で打てんのかぁ〜、えぇ〜、打てんのかぁ〜』って」
再び前田監督を演じる杉浦さん。似てるのか似てないのか正直言ってよくわからないのだが、愛嬌のある杉浦さんの顔で演じられるので笑いがこらえきれない。しかし、杉浦さんの芸なしでは、まともに聞けなかった話かもしれないと思った。
正直言って、今回の内容は書くかどうか、非常に迷った。ただ一つ、誤解してほしくないのは、僕は前田監督を否定したくて書いたわけではないということだ。
前田監督が何もない状態から帝京を甲子園常連校に育て上げたことも、伊東昭光(元・ヤクルト)、奈良原浩(元・日本ハムほか)、吉岡雄二(元・近鉄ほか)、森本稀哲(DeNA)ら多くの人材をプロに輩出したことも、変わらず崇められるべき功績だと思っている。ただ、「こういう一面もあった」ということも書いておきたいと思ったのだ。
今、野球部を取り巻く環境は特に、「善か悪か」「勝者か敗者か」というような、「0か100か」の二元論が渦巻いている。いいチームか悪いチームか、名将か凡将かという議論がなされるが、そもそも完璧な野球部、完璧な指導者などいないと思う。完璧な人間など一人もいないのと同じように。
今回の前田監督のエピソードを「ひどい」と否定的にとらえる人もいるだろうし、「勝負に徹した監督らしい」と肯定する人もいるだろう。ただ、こうした一面だけで前田監督を「0か100か」で見ないでほしい、ということは強くお願いしておきたい。
そして、前田監督本人にも思うところがあるだろう。今はだいぶ方針が変わったという話も聞いているし、いつか取材して当時を振り返ってもらいたいと思っている。
さて、次回は「帝京野球部あるある」の連載最終回。野球部引退後の杉浦さん、前田監督との邂逅、芸人としての思わぬルーツ。今にして残る「帝京魂」について、存分に語ってもらった。
(次週につづく)
杉浦双亮(すぎうら・そうすけ)
1976年2月8日生まれ、東京都八丈島出身。小学5年で埼玉県大宮市(現さいたま市)に転居し、帝京高校では野球部に入部。チームは入学した1年春から4季連続で甲子園に出場するが、自身のベンチ入りはなし。高校時代の同期生・山内崇さんとお笑いコンビ「360°モンキーズ」を結成し、コアな外国人選手のモノマネでブレークした。DVD『マニア向け』が好評発売中。
今回の【帝京野球部あるある】
監督に干され、自由を満喫する最上級生。