1992(平成4)年、バルセロナ五輪で台湾代表のエースとして銀メダルを獲得し、鳴り物入りで阪神に入団した郭李建夫。1年目のヤクルト戦(神宮)で悲劇は起こった。飯田哲也の放ったピッチャーライナーが郭李の股間を直撃。郭李は声にならない声を上げながら悶絶し、救急車で緊急搬送。睾丸がソフトボール大に腫れ上がり、登録抹消の憂き目にあった。