「大学で野球ですか。考えませんでしたね。野球はあくまで職業であって、趣味でやるっていうものではありませんから。好きっていうわけでもなかったんですよ。もちろん嫌いじゃなかったですけど」
都内有数の桜の名所である土手。江戸城の外堀を埋めて造ったという大学の野球場を眺めながらその若者は語った。この春、彼は新卒の社会人として外資系企業に入社するのだが、25歳という年齢は、彼が少々寄り道をしたことを示していた。
海の向こうでは、彼と同い年の投手が野球の頂点、メジャーリーグに挑戦しようとしている。連日マスコミをにぎわせている、その日本球界最高の投手の仕上がり具合にも、彼は無関心を装った。しかし、関心がないはずはない。なぜなら彼、鷲谷修也は高校時代、日本球界の至宝・田中将大とともに甲子園の土を踏んでいたのだ。