豪州野球の現実 〜五輪のメイン球場も使われず、適正規模の野球専用球場がない〜
☆宴のあと ―シドニー・オリンピックパーク―
ブラックタウンでの試合の翌日、私はある場所へ向かった。
増設してようやく2000席のあのスタジアム(第1回の記事を参照)が、現在のところ、この国で一番の野球場だという。そもそもあの球場は、2000年のシドニー五輪のサブ会場として建てられたものだ。それならば、メイン球場は今どうなっているのだろう……。
シドニー五輪のメイン会場は、現在、オリンピックパークというスポーツ複合施設になっている。そこに野球場もあったはずだ。
「もう、ないんじゃないのかな。あったとしても、他の競技に転用されているよ」
シドニー・ブルーソックスのスタッフの話だと、ないらしい、いうことだったので、シドニーの中心から電車で30分ほどのその場所へ足を運んだ。地下駅を出ると、目の前には開会式の行われた巨大な競技場が目に入った。
野球場を探す。広い園内をくまなく歩くが、案内板には「Baseball」の文字はなかった。サンドウィッチをむさぼっていた二人の少年に、「野球場だった場所はどこかな」と尋ねてみた。
要領を得ない様子に、彼らの記憶にオリンピックがないことに気づかされる。もう15年も前のことになるのだ。子どもだけではない、園内を歩く誰に聞いても、かつての野球場がどこなのか言い当てることはできなかった。
緑地沿いには、おそらく五輪各競技の会場だったのだろう、中小のパビリオンが並んでいる。その先にある高い照明塔を目指して進んだ。そこにあった「ショーグラウンド」という多目的競技場が、かつての野球場だった。
▲シドニー五輪で使われた野球場
スタンドが低くなったところから覗くと、一面、緑が広がっているのが見えた。現在は野球場としては使っていないようだ。あとで聞けば、そもそも野球用の施設として作られたものではなかったらしい。その事実に、この国の野球の置かれている立場が如実に表れていた。
公園内では、ボールを投げたり打ったりする子どもが少ないわけではない。ただ、高々と舞い上がるボールを打った少年が手にしていたバットは、先の平べったいクリケットのそれだった。
▲クリケットに興じる子どもたち
☆つわものどもが夢の跡 ―ゴールドコースト―
「そりゃ、クリケットの方が人気あるよ。一番人気はオージー・フットボールとサッカー。そのあとがクリケット、ラグビーってところかな。野球はそのだいぶ後ろだ」
ブレット・ワードはハンドルを握りながら、クイーンズランドのボールゲームの人気について話してくれた。ボルチモア・オリオールズのスカウトをしている彼とはABL(オーストラリアン・ベースボールリーグ)が発足した2010年以来の付き合いだ。
この州には、1989年から1999年まで行われていた旧ABL時代、2つの球団が置かれていた。そのうちの1つは、日本でもおなじみのリゾート地・ゴールドコーストを本拠としていた。ここは、「豪州野球のメッカ」といってもいい場所である。
我々を乗せた車は、ゴルフ場の門をくぐった。左手に見えるホテルが、選手の宿舎だったという。パームメドウズ。かつて中日ドラゴンズがキャンプを行っていた場所である。その後、ここは地元プロ球団・大京ドルフィンズのホームグラウンドになり、この夏まではMLBのアカデミーが置かれていた。
少し進むと、野球場があった。正確には「野球場跡」とした方がいいかもしれない。目の前にあるのはフェンスに囲まれたグラウンド1面だけ。しかし、かつては手前のレフトフェンス裏に選手食堂が、ライトフェンスの向こうにはサブグラウンド、バックネット裏には2500人収容のスタンドと管理棟があったという。施設の取り壊しは、ひと月ほど前から始まったらしい。
▲パームメドウズの球場。手前の赤土の部分には、先日まで建物があったという。
フィールドに立ってみる。取り壊しが決まっているせいか、ずいぶんと荒れた印象だ。あとで聞いたところによると、中日がキャンプを張っていた頃も決して評判は良くなかったという。
「こっち側がピッチャー、あっちがキャッチャー」
一見しただけではわからないと思ったのか、一塁フェンス横のブルペンを前にワードはわざわざ説明してくれた。そう説明したほうがいいだろう、と思わせるような環境なのである。
☆ABLの将来像 ―リーグCEOに会う―
続いて案内されたのは、ABLのオフィスだった。扉を開けると、額に入った豪州人メジャーリーガーのサイン入りバットや、アテネ五輪の銀メダルが目に入った。
▲アテネ五輪の銀メダル
ここにも懐かしい顔があった。ベン・フォスター。ABLのCEOだ。リーグ発足時にこの職に就いて以来、日米球界との関係強化や、リーグ戦の試合数増加、アジアシリーズへの参戦に優勝と、ABLの発展に奔走してきた。
あいさつを交わした後、まずは一番、気になること、「リーグの存続」について聞いた。ABLはMLBから75パーセントの出資を受けて発足、当面5シーズン、リーグ戦を行う、としていた。今シーズンはその5シーズン目にあたる。私の不安に対して、彼は胸を張ってリーグの継続を宣言してくれた。
彼には、これまで何度か会って話をしたが、その際、ニュージーランドへの球団拡張や試合数の増加などのリーグの将来像を語ってくれた。しかし、チームあたりの試合数を40試合から48試合にまで増やした以外は、彼の計画も進んでいないようだった。NPBからの選手受け入れも、続いてはいるものの、どちらかといえば、その規模は縮小気味だ。
一番の懸案事項は施設の問題だという。アクセスしやすいところに適正規模の野球専用球場がないことには、肝心の集客が上手くいかない。ニュージーランドへの球団拡張も球場がネックになるし、試合数の拡大も、現在の集客状況では、平日の試合増加は難しいらしい。ウインターリーグという性格上、開幕と閉幕は現状を変えることはできない。
フォスターいわく、今後はより日本球界とのパイプを太くして、より多くの球団から選手を招きたい。また、日本の独立リーグとの提携も深めていき、将来的には日本人選手で構成された新チームを参入させる、というアイデアもあるとのことだった。さらには、「アジアチャンピオン(2013年大会でキャンベラ・キャバルリーが優勝)」として、アジアシリーズ開催も希望しているとのことだった。
「それも、みんなスポンサーが集まるかどうかだね」
豪州野球の若きリーダーは、理想と現実のはざまの中で、今日も奔走している。
▲ベン・フォスター
■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)