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file#023 攝津正(投手・ソフトバンク)の場合

『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
 今回の担当ライターは菊池雄星(花巻東高→西武)や大谷翔平(花巻東高→日本ハム)など東北の逸材を追いかけ続ける武藤桂子さんに書いて頂きました! コツコツコツコツと努力し続け、ドラフト下位指名から最優秀中継ぎを経て、沢村賞を獲得した、東北地方を代表する大エースになったあの投手です。


◎努力を重ねた晩稲の選手
 稲の品種と同じように、人が成功したり才能を発揮する時期も早稲(わせ)、晩稲(おくて)がある。野球選手でいえば、中学、高校からある程度センスが垣間見れたり、明らかに周囲とは違う光る物がある早稲の選手と、潜在的な能力が長期的な努力によって大学や社会人でやっと成熟する晩稲の選手…。
 WBCでも中継ぎとして活躍しているソフトバンクのエース・攝津正投手は、まさに晩稲の選手だと感じる。ドラフト5位(2008年)ということが今では意外と感じるほどの活躍だが、これまでの道のりは順風満帆ではなく、信念を持った努力を長い期間かけて積み上げてきた選手だ。
 実は、攝津投手のアマチュア時代は「JR東日本東北のいい投手」という程度で認知はしていたが、個別で取材をしたわけでもなく、登板する試合を見たのも数えるほどしかない。球速は130キロ半ば。1球1球の凄みこそないものの、勝ちにこだわる姿勢が伝わってくる熱闘が印象に残る投手だった。真の「攝津投手の凄さ」を知ったのはプロ入り後。同年代の人々、後輩、同じ東北地区の社会人選手からどれだけ凄かったか耳にする機会が増え、もっと見ておけば良かったと後悔させられることとなった。



◎好選手の影に隠れた高校時代
 攝津投手は秋田県出身。秋田経法大附属高(現・明桜高)で中学時代の実績はなかったが1年生夏からベンチ入りしている。2年秋の東北大会では準決勝で酒田南高を延長戦で破り、準優勝を果たし、3年春のセンバツにも出場した。ただ、高卒でドラフトにかかるような力はなかった。攝津投手と同学年で東北地区の某高校でプレーしていた元球児によると「いい選手ではあったけど、プロに行くような力は感じられず、ここまでなるとは思いもしなかった。ここまでなるなんて、相当努力をしなきゃ無理だろう」と証言する。同級生には2000年に高卒で巨人からドラフト4位指名を受けた根市寛貴(光星学院出身)、同じく横浜から3位指名を受けた後藤伸也(東北出身)ら、高卒でプロ入りをした選手が当時の東北地方で目立っていて、攝津投手はすっかり影に隠れていた。

◎エースとして後輩にも影響を与えた社会人時代
 本来の力が開花し始めたのはJR東日本東北時代。2001年に入社し、3年目から登板機会を増やした。同年、日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞して、2004年からは不動のエースとして活躍を続けた。そして、自己の力を伸ばしただけでなく、エースとして後輩にも好影響を与え続けた。
 2011年にJR東日本東北からプロ入りを果たした森内壽春投手(八戸工大一→青森大→JR東日本東北→日本ハム)もそのひとり。ドラフト3日前の都市対抗大会の一回戦で完全試合を達成し、ドラフト候補として浮上していなかったにも関わらず日本ハムから5位指名を受けたという逸話の裏側には、攝津投手が大きな影響を及ぼしていた。
 森内投手は大学時代に増えた体重のせいで入社直後はひたすら走る練習メニューが待っていた。「毎日走ってばかり。しかもタイム走ばかりで、必死で走らないと間に合わないんです。その時、一緒にメニューをこなして、何度も背中を押してくれたのが攝津さんです」と語る。当時はプロ入りを志すほどのモチベーションはなかったそうだが、攝津投手が練習や試合に向き合う姿勢をみて、森内投手の気持ちも変化した。



◎攝津投手から後輩が学んだ「勝利にこだわる姿勢」
 中でも一番印象深い試合となったのが2007年の都市対抗第3代表決定戦。岩手21赤べこ野球軍団戦だった。代表をかけエース攝津投手が先発し、両者譲らぬ好戦が繰り広げられた。8回まで1対0でJR東日本東北がリードをしていたが、8回裏に追いつかれ、なんと延長10回にサヨナラ負けを喫して敗退。本戦を逃す悔しさはさることながら、その大会では4試合に登板し防御率0.89と好投するも一度も勝ち投手となれなかった2つの悔しさが込み上げる。誰よりも悔しがる攝津投手の姿をベンチで目の当たりした森内投手は「本戦に出られないことはこんなにも悔しくて、負けることはこんなにも辛いことなんだ…」と痛感させられたという。



 攝津投手は、この年9月に行われた第37回IBAFワールドカップ台湾大会の日本代表候補選手選考合宿で好投し、さらに本大会でも4戦全勝、28回2/3を投げて防御率0.31、奪三振36という快投で銅メダル獲得に貢献し優秀投手にも選ばれている。そして、この翌年の東北大会では優勝を果たし、MVPにも選ばれ、社会人最後のシーズンは有終の美を飾った。  コツコツと努力を重ね、才能がなかなか開花しない時期でも野球と真摯に向き合い、自分の道を切り開いた攝津投手。努力を続ければ東北地区の社会人からプロ入りも可能という素晴らしい前例となった。「プロを目指す上で大きな刺激になった人」と攝津投手の名前をあげて、2010年ドラフトでロッテ3位指名でプロ入りした小林敦をはじめ、多くの東北地区の社会人選手にとって手本となり、活躍ぶりは希望ともなっている。

 今回のWBCでは中継ぎとして要所をしっかり締め、攝津投手らしい投球をみせている。第1ラウンドのブラジル戦では5回から登板してすぐさま1点を献上してしまったが、その後2イニングはいつも通りの冷静なピッチングを披露し、三者凡退に抑えた。しかも8回表に日本が3得点して攝津投手が勝ち投手に。勝ち星に報われなかったこともある社会人時代を思い返すと、勝手ながらすごく嬉しくなってしまった。
 WBCの経験をさらなる糧として、2013年もこれまで以上に飛躍し続けてくれるはず。ぜひこれからも東北地区を元気にするような活躍をみせてほしい。




文=武藤桂子(むとう・けいこ)/宮城県仙台市出身。東北地方の中・高校、大学、社会人などの取材をするライター。元トライアスリートというフットワークを生かして、各地の取材を続ける。1児の母として子育ての楽しさも満喫し、野球を通して「人間性を育てる」など、「コーチング」や「教育」分野にも興味津々

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