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“逆境”を乗り越えることで常勝チームへ!ライオンズブルーに脈々と流れる逆転の歴史

 今週から連載する「プロ野球逆境克服列伝 〜逆境を乗り越えた男たち」では、さまざまな苦労や不遇に対して、諦めることなく努力し、それを乗り越えてきた野球人たちに迫る。

 第1回目は今季、予想を裏切る低迷ぶりで逆境に立たされている、埼玉西武ライオンズ(西武ライオンズ・西鉄ライオンズ)に注目してみた。

 かつて、ライオンズは数々の“逆境”に立たされ、それを乗り越えてきた歴史がある。逆境に打ち勝ってきた男たちのその姿こそ、筋書きのないドラマであり、見守っている我々ファンの胸をアツくするのだ。


1958(昭和33)年
◎3連敗のあと4連勝で日本一に!


 今から約60年前、プロ野球史上初の大逆転劇が刻まれた。日本シリーズで3年連続で西鉄ライオンズvs読売ジャイアンツの顔合わせとなった。2年連続で巨人は西鉄に敗れており、この年の日本シリーズも、西鉄有利と囁かれていた。

 しかし西鉄はいきなり3連敗を喫する。エース・稲尾和久は原因不明の高熱で万全ではなく、自慢の強力打線も、巨人投手陣の前に実力を発揮できずにいた。

 後がない西鉄ナイン。逆境に立たされた彼らを救ったのは、天の恵みと指揮官の粋な計らいだった。運命の第4戦は、前日から降り続いた強い雨のために中止が決定。そして、すき焼き100人分と日本酒一升瓶50本を手配した西鉄・三原脩監督は自動車に鍋を載せ、稲尾をはじめとする西鉄ナインの自宅を訪れ、すき焼きを配って回ったという。選手たちは家族と喜んですき焼きを食べて、酒を吞み、翌日の試合に挑んだ。

 その後、西鉄が4連勝で日本シリーズ3連覇を飾ったのはご存じの通り。完全復活した稲尾は4連投4連勝に、第5戦にはサヨナラ本塁打を放つなど、文字どおり「獅子奮迅」の活躍をみせたのだった。


1963(昭和38)年
◎14.5ゲーム差を大逆転!


 序盤は南海が独走状態だったこのシーズン。最大で14.5ゲーム差をつけられた西鉄は、夏場以降、驚異的な追い上げをみせる。8月に6連勝、9月末には怒濤の9連勝で、ついに南海に追いついた。

 南海が全日程を終了した時点では、まだ南海が首位。西鉄は残り4試合を3勝1分以上で優勝となる計算だったが、見事、4連勝をマーク。西鉄がひっくり返した14.5というゲーム差は、日本プロ野球史上最大のゲーム差であり、これは、現在まで破られていない大記録だ。


1979(昭和54)年
◎本拠地移転……ゼロから黄金時代へ


 1969(昭和44)年に端を発した「黒い霧事件」。西鉄の選手が八百長行為に参加したとされ、主力選手が永久追放処分を受けた。3連覇以降、チーム力を落としていたところに、追い打ちを掛けるような事件となり、翌1970(昭和45)年から3年連続最下位に沈んだ。

 観客動員数も激減した西鉄の経営は悪化の一途をたどり、その後、1972(昭和47)年オフに身売り。ゴルフ場開発会社の太平洋クラブと提携し、球団名は太平洋クラブライオンズとなる。1976(昭和51)年オフにはライター製造会社のクラウンガスライターとも提携して再度、球団名をクラウンライターライオンズに変更。さらに1978(昭和53)年オフ、今度は株式会社国土計画に買収され、西武ライオンズと名称変更するとともに、本拠地を埼玉県所沢市に移転したのだった。

 親会社が変わり続けたこの時代のライオンズは、まさに“逆境”だった。特に西鉄の晩年時代は「黒い霧事件」で主力選手が軒並み不在に。東尾修や竹之内雅史ら若手選手を起用せざるを得ない状況だった。また福岡県から埼玉県への移転時も選手たちは動揺を隠せず、チーム内でも首脳陣の変更や移籍・トレードが活発に行われたことで、ゴタゴタが続いた。

 しかし、広岡達朗監督になった1982(昭和57)年以降、西武ライオンズ黄金期が到来する。1982(昭和57)年、1983(昭和58)年と2年連続で日本一。さらに森祇晶監督に代わって以降、渡辺久信、秋山幸二、伊東勤らを「育てながら勝つ」手法で、パ・リーグの盟主の座を不動のものとした。当時から約30年以上経った今、その3人がパ・リーグの各球団監督に就くなど、当時の選手たちが日本野球界の中心にいるのは周知の通りだ。


1986(昭和61)年
◎伝説は再び…日本シリーズ大逆転


 前年のドラフトで1位指名した清原和博らが活躍し、近鉄とのデッドヒートを制したこの年の西武。日本シリーズでは広島と対戦し、第1戦は互いに譲らず2-2のまま延長14回時間切れで引き分けた。

 その後、西武は広島に3連敗。王手をかけられた第5戦、ここから奇跡が起きる。延長12回裏、工藤公康がサヨナラ安打を放って勝利。ここから息を吹き返した西武は6戦、7戦、そして日本シリーズ史上初の第8戦までを一気に制し、4連勝で大逆転。3年ぶりの日本一に輝いた。

 ちなみに日本シリーズの投手によるサヨナラ安打は、前述した1958(昭和33)年、第5戦で稲尾和久が放ったサヨナラ本塁打以来。さらにこのシリーズはその1958(昭和33)年と同様に、3連敗後の4連勝で日本一と、同じ結末となった。


2013(平成25)年
◎ペナント終盤の猛烈な末脚!


 記憶に新しいのが、昨季のペナントレース。開幕ダッシュに成功した西武だったが、交流戦ではパ・リーグ最下位に終わり、8月中旬にはリーグ4位に転落。CS出場は絶望と思われた。

 しかし、西武は次第に3位・ソフトバンクを追い詰め、10月3日の直接対決を制して3位浮上。その後、3位以上を確定してCS出場を決めた。さらにロッテとの2位争いは10月8日のシーズン最終戦までもつれ、最終的には西武が2位通過を決めたのだった。9月29日から負けなし8連勝でシーズンを終えたのは、競馬で言えば、4コーナーを回った後、強烈な末脚をみせて相手を差しきったようだった。

 この間、涌井秀章(現ロッテ)は球団新記録となる10試合連続登板し、プロ野球記録に並ぶ6試合連続セーブを挙げるなど、かつての稲尾和久を彷彿とさせる力投をみせたのだった。




 4月終了時で借金10を記録した今季の西武。4月終了時での借金2ケタは西武ライオンズ初年度の1979(昭和54)年以来35年ぶり。さらに5月1日の日本ハム3連戦を1勝2敗で終え、8カード連続負け越しを記録。これは1971(昭和46)年に西鉄が9カード連続負け越しをして以来、43年ぶりだという。

 しかし、現時点で今シーズンを諦める必要はない。なぜならライオンズには数々の苦難を乗り越えて、常勝軍団を築き上げてきたという伝統があるからだ。“逆境に強い”というDNAが組み込まれており、現在まで長い時代をかけて構築してきたライオンズの伝統は、そう簡単に崩れはしないはず。

 ライオンズは必ず復活してくれるだろう。そしてファンにできることは、ライオンズを信じて、応援し続けることしかないのだ。


■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)/会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。“ファン目線を大切に”をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは@suzukiwrite

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