木田優夫vs原辰徳。野球ができる幸せを噛みしめる、最後の一球を見逃すな!
3月4日、巨人vs日本ハムのオープン戦(札幌ドーム)で、ある野球人の引退式が行われた。その野球人とは、昨季までBCリーグ・石川ミリオンスターズに所属し、惜しまれつつ現役を引退した木田優夫日本ハムGM補佐だ。
今回の引退式では、木田GM補佐が日本ハム時代の背番号「42」をつけて投手としてマウンドに上がり、巨人の原辰徳監督を打席に迎えて「最後の1球」を投じた。捕手は木田GM補佐と同い年で、今季も選手兼バッテリーコーチとして現役を続ける中島聡(日本ハム)が務めた。
日米8球団に所属した木田GM補佐だが、プロ野球選手の第一歩は1987年に入団した巨人。そして、NPBの球団と最後に契約したのが、2010年から3年間所属した日本ハムだった。
昨年9月に所属していたBCリーグ・石川で華々しく引退試合を行ってはいるものの、「やはりNPBで最後の舞台を」ということで日本ハムから巨人に打診。原監督がこれを快諾して、古巣2球団による引退式が実現することになったのだ。
木田GM補佐と原監督は、巨人時代に9年間、現役を共にしている。そして、当時の“木田投手”は、プロ野球選手として大切な心構えを“原選手”から教わったという。
自著『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』の中に、そのエピソードが収められている。一部抜粋しよう。
《ある試合で僕が打たれた後、「自分の好きなことでこれだけ悩めるのは幸せなことだ、というのを忘れるな」と言われた。以降、打たれて凹んだ時は、「野球ができてることは幸せなこと」という原サンの言葉を思い出す》
木田GM補佐にとっては、この引退式が「野球ができる幸せ」を実感できる最後の機会になるのかもしれない。