昭和24年発行、サトウ・ハチローの『野球談義』を読む
雑誌『野球太郎』の連載でも御馴染み「伝説のプロ野球選手に会いに行く」の「週刊版」。現在、文庫版“伝プロ”も絶賛発売中!
前回の続きです。
サトウ・ハチローの「詩になるベスト・ナイン」が掲載された野球雑誌の見開き誌面。よく見ると、左ページの左下隅っこに小さい文字でこう記されていました。
<「詩になるベスト・ナイン」「はなむけ詩集」「続はなむけ詩集」より>「野球談義」昭和24発行
つまり原典は『野球談義』という随筆集でした。かなり昔の本ではありますが、なんとか入手して読んでみたい――。早速、古本サイトで探すと一点だけあったので即購入しました。
まずいきなり、ユニフォーム姿のサトウ・ハチローが目に飛び込んできてびっくりです。著名な作家の還暦祝賀野球の日に撮影された写真だそうですが、背景を見ると二階観客席もある球場(後楽園か?)でお客さんもたくさん。
▲ユニフォーム姿のサトウ・ハチロー。いたって楽しげな表情。この写真が本の冒頭を飾る。
しかし還暦のお祝いになぜ野球の試合? 詳しいことはわからなくとも、豊かな野球環境で楽しそうにしている姿を見て、わくわくさせられました。
「詩になるベスト・ナイン」は、この原典では若林忠志(元タイガースほか)から始まっています。特に面白い、というか笑ってしまうのは、三番目に出てくる川上哲治(元巨人)です。
前半部で「たのもしいお方」「たくましいお人」と称えているのですが、後半部はこう展開します。
さて川上どんの持道具
ファースト・ミットがいうのには
――あたしもつくして いるけれど
とてもバットにゃ かなわない
あの方と添いとげるのは、
やっぱりバットだけですよと
しみじみ涙ぐんで、ほろりとして――
ミットとバットを擬人化して、バッティングに比べれば一塁守備は今ひとつだったことを表現しているわけです。
「川上はこっちがストライク投げてもポロッと落とすような、へたくそな野郎だったからな」と、苅田久徳さん(元セネタースほか)がさらりと言った声が思い出されます。
「ワシが二塁手をやっていた頃、一塁手がへたくそやった。川上哲治さん、という人なんやけど」と、千葉茂さん(元巨人)が笑っていた顔も浮かびました。
このように野球人の言葉とサトウ・ハチローの詩とは響きあうものがあって、単に称賛するのではなく、シニカルに選手を評するところもある。本当に熱心に、野球そのものを見ていたことが感じられます。
一方、「詩になるベスト・ナイン」の続編的な「はなむけ詩集」はシーズンオフに書かれたもので、<なにはともあれ、花束がわりに、小唄など、好きな選手に捧げましょう>と記されている。千葉茂さんに捧げられた<千葉君に>を読んでみましょう。
日本じゃ
やっぱり渋い芸が よろこばれる
渋さの問屋とござるかな
渋さはいいね
野球じゃ渋さを ちばさというかな
とにかく「渋い」プレーをする選手、いわゆる“いぶし銀”的な味があったことが伝わってきます。プレーではなく「芸」と書いているのもいい感じです。
本の冒頭に戻ってみると、<プロ野球八チーム監督 小唄調 寸評>と、まさに評で始まっている。
酒の肴で戦法の特徴が表現される監督、戦国武将が引き合いに出される監督、これまでの球歴から唄われる監督。さまざな比喩の意味のすべてはわからないまでも、こういう野球人だったんだな、ということがなんとなくわかる。千葉さんの詩にも通じるところがありますが、僕はそこがサトウ・ハチローの特性だと思います。
あらためて目次を見ていけば、「アマチュアの話」「球場問題の話」「冬の野球」「合併について」「二つの野球の本」「和製ベーブルース」「中日異変」「戦災孤児について」――と時代も反映した内容は多岐にわたり、全部で80本近い文章を掲載。
しかも、そのすべてに年号と日付が入っているので、昭和21年から23年の野球の歴史を細やかに伝えてくれると同時に、読んでいてニュース性もありライブ感もある。昭和22年10月9日と日付が入った「中日異変」はこんなふうに始まります。
<中日が、又もめています。
中日とは、中部日本のことです。
中部日本とは、日本野球の強チームのことであります。
ボクが、この耳で、はッきり聞いたところによりますと、十七人の選手が脱退するとのことです。おどろいてはいけません。十七人です。>
一球団の内紛も気にかけているあたり、単にどこどこのファン、誰々が好きとかではなくて、野球と野球を取り巻く全体を含めて愛情たっぷりに見ていた人だ、ということがだんだんと伝わってきました。
そういう意味での極めつけは「二人の鈴木さんに捧ぐ」と題された野球詩です。
鈴木さん
二人の鈴木さん
龍二さんと惣太郎さんの
二人の鈴木さん
あなた方お二人の目に
うッすりと涙が、にじんでいるのを
ボクは、ハッキリとこの目でみました
昭和二十二年十一月二十三日
後楽園のネット裏で
ボクはキモチのよいお二人の涙をみた
当時の日本野球連盟会長の鈴木龍二と副会長の鈴木惣太郎。米国野球通の後者は戦前、ベーブ・ルースの来日に尽力した人物として知られますが、両者がいなければ、戦後のプロ野球復活、復興は順調に進まなかったといわれています。
そういう二人が、日本プロ野球始まって以来の大入り満員となった東西対抗戦(現在のオールスターに通じる)の最中に涙をにじませている。
その涙を後楽園球場のネット裏で見たサトウ・ハチローは、あれは大入り満員を喜んでいる涙ではなく、復活・復興への苦難の道を振り返って、「ああそれでも、ここまでは来た」と目頭を熱くしたのだと想像している。
好きな野球の試合を満員のスタンドで観戦しながらも、当時の日本プロ野球を司る二人の姿に気づいたあたりは、野球全体への愛情があるからこそでしょう。
そして、涙へと焦点を絞り込むあたりは詩人らしさだと思いますし、涙の意味を想像するところはさらなる愛情だと思います。読んでいて感動しました。
誰でもすぐ入手できる古本ではないだけに、なんだか独り善がりのようになってしまいましたが、野球好きな方にはぜひ読んでもらいたい『野球談義』。
▲昭和24年2月発行。まえがきには<スポーツを愛し……ことに野球をこよなく愛してきた私として、この随筆集が世に出ることは何よりうれしい>と記されている。
先日確認したところ、野球殿堂博物館の図書室には所蔵され、閲覧も可能だそうです。東京ドーム併設の博物館ですから、観戦の際に立ち寄ってみるのもいいかと思います。それではまた次回。
<編集部よりお知らせ>
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『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。
文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。『野球太郎No.003 2013春号』では中利夫氏(元中日)のインタビューを掲載している。
ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント
@yasuyuki_taka