1番・捕手で生まれ変わった!6位指名の足立祐一が楽天捕手陣に殴り込み!!
☆チームを背負い切れなかった神奈川大時代
丈夫な体に強肩強打。身長は170cm台でも、プロテクターをつけてマスクをかぶれば大きく見える。足立祐一は、存在感のあるキャッチャーだった。桜美林高では4番を打ち、神奈川大でも正捕手になり、3度ベストナインに選ばれた。
素材のよさは誰もが認めていた。神奈川大の古川祐一監督は「足立をプロに行かせたい」と意気込み、最終学年ではキャプテンに指名した。
ところが、期待していたバッティングで結果がついて来ない。チャンスで凡退を繰り返し、開幕当初は4番を打っていたのに、打順も徐々に下がっていった。大黒柱が打てないと、チームも低迷する。取材をしても、守りの話はスラスラ出てきても、打撃の話になると、途端に苦笑いを浮かべて「ええ、まあ…」とお茶を濁すことが多かった。
結局足立はプロには行けず、社会人のパナソニックに進んだ。古川監督は「これだけ打てなかったら、プロはないでしょう」と、当時の足立を冷静に見ていた。体が強くて長打力はあるのだが、いかんせん確率が悪すぎた。数字以前に、「ここで打ってくれよ」という場面での内容が悪かった。大学4年の時点では、攻守にチームを背負える選手ではなかった。
☆1番キャッチャーで生まれ変わる
パナソニックに入ってからも、最初の2年間は控え暮らしが続いた。社会人で、しかもキャッチャーで最初から出場機会を得るのは至難の業。よほどの空席がない限り、最初からマスクはかぶれない。トーナメントの社会人は、ベテラン捕手の経験値が物を言う。
足立にチャンスが巡ってきたのは入社3年目の昨年。奥代恭一監督がチームの若返りを図り、足立を1番キャッチャーに抜擢した。
1番キャッチャー足立?
大学時代を知る人間はみな「そういうキャラじゃないだろ!」と驚いていた。どう考えても盗塁をバンバン決めるタイプでもないし、ヒットメーカーというタイプでもない。1番に抜擢した理由を奥代監督にたずねると「足立は思い切りがいいから」との答えが返ってきた。思い切りがいい? 大学時代に煮え切らないような凡退を何度も見てきた人間からすると、これまた信じられないような回答だった。
ところが、当の足立は大まじめに、1番打者の心得を語ってくれた。
「初回の先頭打者の攻撃で、どれだけ相手にダメージを与えるか。だから初球からどんどん振っていきます。1回の第一打席の初球が最高に集中していますね」
実際に初球からどんどん振っていくし、アウトになってもバットの芯で捉えている。大学時代とは別人のような思い切りのよさを発揮していた。
1番での経験を踏まえ、今年は3番でポイントゲッターになった。都市対抗の準々決勝・JR東日本東北戦では、延長10回裏2死一塁、カウント3−0からストレートを迷わず振り抜き、サヨナラ2ランにしている。
もうひとつ足立で感心したのはリード面だった。パナソニックでは近藤大亮(オリックス2位)、補強選手で選ばれた時には酒居知史(大阪ガス)ら若手の速球派を気持ちよく放らせていた。
あまり難しいことは要求しないで、基本は真っすぐ勝負。でもホームランを打たれた直後には「相手もストレートに張ってきているから、パターンを変えよう」と、3球連続フォークで三振に仕留めたり、勝負どころで迎えた強打者には「内、外、奥行き、全部使って」狙い球を絞らせない。若い捕手にありがちな「厳しすぎるリード」で振り回さず、ピッチャーのよさを引き出しながらメリハリをつけていく。社会人で打力を伸ばしながら、女房役らしい配慮もできるようになった。社会人で研鑽を積んで、足立は攻守にチームを背負える男に成長した。
☆野球への取り組みもいい
聞くところによると、昨年のドラフトでも、最後まで候補者リストに足立の名前が残っていた球団があったという。そして大卒4年目の今年、ようやくプロ入りの夢をかなえた。下位指名とはいえ、捕手層の薄い楽天では即戦力の期待がかかる。
足立を正捕手に抜擢し、手塩にかけて育ててきた奥代監督は、足立のプロ入りをこのように言っていた。
「そりゃ、足立が抜けるのは痛いですよ。ようやくチームの柱になって、これからというところでしたから。でも彼の普段の練習での取り組みやプロへの熱意を間近で見てきたから、行くなとは言えません。快く送り出してやりたいですね」
26歳でもプレーは若々しく、人望もある。好漢・足立祐一、満を持してプロに挑む。
文=久保弘毅(くぼ・ひろき)
1971年生まれ、奈良県出身。元アナウンサーという異色の経歴を持つスポーツライター。得意技は実況風ライティング。ハンドボールライターの第一人者でもある。ブログ「手の球日記(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/handjpn/)」