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【カラバイヨ(オリックス)インタビュー】独立リーグ時代にラミレスから伝授された日本で活躍する秘訣とは

【この記事の読みどころ】
・このグラウンドを使うのか……驚きの連続だった高知での生活
・高知の人当たりのよさによって、日本の文化に慣れ、日本語を習得!
・ラミレスからの教えは「外の変化球を打てるようになれ」

☆驚きが連続の初来日

「最初はびっくりしたね」

 カラバイヨは、日本に降り立った最初の印象をこう話す。当時25歳。代理人に「まだチャンスがある、だから行こう」と背中を押されての来日だったが、現実は想像をはるかに超えるものだった。

「日本のプロ野球」といっても、彼の最初のプレー先は独立リーグ。四国九州アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)の中で、最も地域密着度の濃い高知ファイティングドッグスが彼の働き場だった。

 2009年当時、球団は経費節減のため、高知市内から車で1時間の町に寮を構え、そこからさらに山奥に入った隣町の野球場……とも言い難いグラウンドに本拠を構えていた。高知県にはナイター照明を備えた球場はまだなく、春季キャンプで使用する「NPB規格」の球場は数カ所あったものの、それらは公式戦の半分くらいでしか使うことはなかった。

「すごいびっくりしたよ。食べ物は見たことないものだったし。練習場も『ここでやるのか……がんばろう』って。ベネズエラにも、いろんな球場があるんだけど、高知の練習場はベネズエラでも見たことがなかったね」


 初めての日本、かろうじて最低限の設備はそろっている状況でのプレー生活には、なにかと苦労が付きまとったことは想像に難くない。しかし、どんな立場でも人同士の“距離感”が近い高知だからこそ得たことも多い。

「僕は、高知市内のアパートで暮らしてたから、その点は楽しめたけどね。スペイン語を話す地元の人とも友達になって、毎日ごはんを食べに出てたね」

 現在では、同じラテンアメリカ出身の外国人選手のために通訳もするほどのカラバイヨだが、その素地はこの高知時代に培った。「高知の言葉はとくに難しかった」と今では笑い話にしているが、言葉だけでなく、日本の文化や習慣にも馴染んだカラバイヨは、野球の実力もいかんなく発揮していった。

☆ラミレスから教えてもらった日本で活躍する秘訣

 来日前、日本の野球については、ほとんど知らなかったという。

「前の年、アメリカの独立リーグでプレーしたんだけど、給料はそれよりもちょっと低かったね。でも、NPBという目標があったから気にはならなかった。僕の代理人は、ラミちゃん(※)やペタジーニさん(元ヤクルトほか)も担当していて、『NPBを目指そう』と言ってくれていたんだ。ベネズエラのウインターリーグでは、カルロス・プリードさん(元オリックス)とマガジャネスというチームで一緒にやったんだけど、日本の話はしなかったね。その時は、まさか、彼がいたチームで自分がプレーするなんて思ってもいなかったよ」

※アレックス・ラミレス……現役時はヤクルト、巨人ほかで活躍。現在はルートインBCリーグ・群馬のシニアディレクターとオリックスの巡回アドバイザーを兼任している。

 それでも、カラバイヨは日本の野球をどんどん吸収していった。

「まあ、野球は野球だから。そんなに違わなかったね。確かに初回からバントや前進守備をしたがるのは驚いたけど。向こうでは、バントは7回くらいにならないとしなかったね。最初はちょっとびっくりしたけど、すぐに慣れたよ。アメリカでは、みんなパワーがあって、いいバッターのほうが多いけど、日本人はそこまでのパワーがない代わりにピッチャーがいい。野球に関しては、大丈夫だと思ったね。成績は十分残せると思ったよ」

 その言葉通り、カラバイヨは、打率.359、18本塁打、76打点というあわや三冠王という成績で、独立リーグレベルの投手では手に負えないことを十分に示した。しかし、NPBの球団から声がかかることはなかった。

「それに関しては、はじめからわかっていたよ。日本には高校、大学、社会人、独立リーグとあって、NPBはそのどこからでも選手は獲得できるし、独立リーグが(NPBから)どれくらいのレベルだと思われているかわからなかったから、結構がんばらないとNPBには行けないとは思っていたね」

 それでも、カラバイヨの中では、「日本のメジャーリーグ」でやっていける自信は日ごとに確信へと変わっていった。とりわけ、シーズン終了後に独立リーグ選抜チームの一員として参加したフェニックスリーグに参加したことで、自分がNPBで十分戦力になるだろうことを肌で感じた。

「実はその頃からラミちゃんとも交流があって、いろいろアドバイスをもらっていたんだよ」

 独立リーグでプレーするカラバイヨにラミレスがアドバイスしたことは、外角の変化球を打つ技術を身につけることであった。

「ラミちゃんはいろんな情報を提供してくれたんだ。まず言われたことは、独立リーグはピッチャーの球があまり速くない、ということかな。それと、変化球が多いから、外の変化球を打てるようになりなさいって。それができれば、NPBでもやれるって」


☆BCリーグに移籍した理由

 翌シーズン、カラバイヨは活躍の舞台をBCリーグ(現ルートインBCリーグ)に移す。四国よりもスカウトのアンテナにかかりやすいと考えたからだ。当時高知の監督・定岡智秋(元南海)も、力がありながらチャンスをつかめないカラバイヨの背中を押した。

「定岡さんも、関東に近い方がスカウトは来るからいいんじゃないの、って言ってくれたんだ」

 日本での初シーズン後は、貯金を切り崩しながら、自宅のあるアメリカ・ニュージャージーや故郷・ベネズエラでトレーニングに打ち込んだカラバイヨは、2010年3月、再び日本の地を踏んだ。彼は群馬ダイヤモンドペガサスの一員としてジャパニーズドリームへの挑戦を続けることになった。


■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)

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