甲子園開幕が間近に迫ってきた。毎年この時期、大会展望で話題にのぼることが多いのが「東北勢は今年こそ悲願の初優勝なるか!?」というもの。そこでちょっと気が早いが、過去、あと一歩で優勝を逃した東北勢の歴史を振り返ってみたい。
【1915年(第1回大会)】
決勝戦で秋田中が延長戦(13回)の末、1−2で京都二中に惜敗……。なんと、第1回大会にして1点差の準優勝。大会の歴史とともに東北勢の悲願が始まっていた、というところが何だか切ない!
【1969年(第51回大会)】
太田幸司がエースの三沢が決勝戦で松山商と対戦。延長18回を0−0で引き分け、再試合に挑んだものの2−4で敗戦。元祖アイドル球児が、史上初の決勝戦再試合で敗れるという「二重の悲劇」で夢叶わず。
【1971年(第53回大会)】
小さな大投手・田村隆寿を擁した磐城が決勝進出を果たすも、桐蔭学園に0−1で敗れた。後にあの『ドカベン』にて高校1年夏の決勝戦(明訓対いわき東)のモデルにもなった伝説の一戦。シンカーを操って活躍した身長165センチの田村は、「小さな巨人」里中智のモデルという説も。
【1989年(第71回大会)】
仙台育英が決勝戦に進出。帝京との一戦は0−0で延長戦へ突入も、10回に勝ち越され、0−2で惜敗。後にプロに進んだ大越基(現早鞆監督)が奮闘するも実らず!
【2003年(第85回大会)】
東北が常総学院と決勝戦で戦う。序盤に2点を先制するも逆転負け。東北の投手はあのダルビッシュ有(現レンジャーズ)。後にメジャーで活躍する男をもってしても、全国制覇の壁は高かった。
【2011年(第93回大会)】
東日本大震災の年に東北勢の悲願達成なるか? と光星学院(現八戸学院光星)に期待が集まったが、日大三に0−11というスコアで完敗。この年の日大三は史上4校目となる「全試合2ケタ安打」を記録するなど、圧倒的な強さだった。
【2012年(第94回大会)】
光星学院が2年連続で夏の甲子園の決勝戦進出、さらに決勝戦の組み合わせが春夏連続で同じ対戦カード(光星学院対大阪桐蔭)となり、リベンジを狙う光星学院には絶好のチャンスだったが、返り討ちにあってしまい、またも東北勢の悲願達成はならず。大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎(現阪神)が完封し、3−0で大阪桐蔭が勝利、史上7校目の春夏連覇を達成した。